写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <歌の舞台を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
 自 然
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 リンク集
赤い靴 赤い靴・親子の像   北海道小樽市
小樽・赤い靴親子の像
静岡・赤い靴親子の像 静岡・赤い靴親子の像
 この歌のモデルとなった「きみ」ちゃんは、2歳の時に母「かよ」と共に静岡から函館に渡った。そこで母は鈴木志郎と出会い結婚するが、留寿都村へ入植の際、きみを外国人宣教師夫妻に預けた。その後きみは宣教師夫妻の帰国時に重い結核のため横浜から船で米国に渡れず、東京の孤児院に托され、わずか9才でこの世を去った。
 明治40年(1907)に志郎は札幌の「北鳴新報」に就職し、そこで野口雨情と出会い家族ぐるみの交流を深める。母は娘きみの話を打ち明け、それが雨情の詩となり本居長世が曲を付けて大正11年(1922)童謡「赤い靴」が生まれた。
 札幌の後、志郎・雨情は「小樽日報社」で石川啄木と机を並べ親交をもつ。鈴木夫妻は各地を転職した後、昭和15年(1940)小樽のカトリック富岡教会の門前に居を構え、きみの死を知らずその幸せを信じ、熱心なキリスト信者として暮らし、今は中央墓地で眠っている。
 私達は、世界中の苦しみを抱えた家族の幸せを願い、小樽市民をはじめ全国からの温かい募金によって、ゆかりのある小樽の地に「赤い靴・親子の像」を建てた。
 天国できみちゃんが幸せに暮らす姿を夢に描いて・・・
 平成19年(2007)11月23日 「赤い靴・親子の像」建設委員会
北海道
おれの小樽 襟裳岬(森) 襟裳岬(島倉) 石狩挽歌 網走番外地
霧の摩周湖 花咲港 小樽のひとよ 宗谷岬new
東北
津軽海峡冬景色 五能線 八甲田除雪隊の歌
関東
アメリカ橋 あゝ上野駅 矢切の渡し 無縁坂 たきび
神田川 かもめの水兵さん 鉄道唱歌 男はつらいよ 潮来花嫁さん
伊勢佐木町ブルース 証城寺の狸囃子 銀座の恋の物語
甲信越
早春賦
東海
天城越え 椰子の実 かわいい魚屋さん 人生劇場 すみれの花咲く頃
ふるさとの燈台 喜びも悲しみも幾年月 あゝ霧ヶ城 金色夜叉
近畿
岸壁の母 紅もゆる丘の花 月の法善寺横町 あゝ新撰組 琵琶湖周航の歌
女ひとり 栄冠は君に輝く しあわせ運べるように
中国
関の五本松 春の海 案山子 アオギリのうた 鳥取砂丘
四国
祖谷の粉ひき節 南国土佐を後にして 豪気節
九州
荒城の月 長崎の鐘 あの子 平戸のうた 元寇
坊がつる賛歌
各地
赤い靴 赤い靴(東京) 赤い靴(横浜港) 赤い靴(日本平) 赤い靴(留寿都村)
赤い靴(小樽)



Google
WWW を検索 写真紀行・旅おりおり を検索

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「」より連絡してください。

Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.