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金色夜叉 尾崎紅葉   静岡県熱海市
金色夜叉
金色夜叉 金色夜叉
 この像は、明治時代の新聞連載小説、尾崎紅葉著「金色夜叉」の主人公の貫一とお宮の切ない別れを再現したものです。二人の心の擦れ違い、愛情、悲しみが詰まった象徴的な場面であるため、物語を忠実に再現したもので、決して暴力を肯定したり助長するものではない。是非、この小説をご一読いただき、二人の心情や当時の世相に思いを馳せていただけたら幸いです。
金色夜叉 」  
  作詞 宮島郁芳  作曲 後藤紫雲   唄 東海林太郎・松島詩子
熱海の海岸 散歩する
貫一お宮の 二人連れ
共に歩むも 今日限り
共に語るも 今日限り
 5 宮さん必ず 来年の
今月今夜の この月は
僕の涙で 曇らせて
見せるも男子の 意気地から
僕が学校 終るまで
何故に宮さん 待たなんだ
夫に不足が 出来たのか
さもなきゃお金が 欲しいのか
 6 ダイヤモンドに 目がくれて
乗ってはならぬ 玉の輿
人は身持ちが 第一よ
お金はこの世の まわりもの 
夫に不足は ないけれど
あなたを洋行 さすがため
父母の教えに 従いて
富山一家に 嫁(かし)ずかん
 7 恋に破れし 貫一は
すがるお宮を 突き放し
無念の涙 はらはらと
残る渚に 月淋し
 4 如何に宮さん 貫一は
これでも一個の 男子なり
理想の妻を 金に替え
洋行するよな 僕じゃない
   
金色夜叉と熱海
 明治の文豪尾崎紅葉の代表作小説「金色夜叉」は、明治30年(1897)1月1日から5年半に亘り読売新聞に連載されたちまち単行本になり、劇化されるなど当時空前の反響を呼び起こした。
 ストーリーは、ヒロインの鴫沢宮がカルタ会の席で、銀行家の息子富山唯継に見染められた。しかし、宮には第一高等中学校の生徒であった婚約者間貫一がいたにもかかわらず、宮の両親はそれを承知の上で富山の求婚を受け入れたことにはじまる悲恋物語であり、作中のクライマックスの場に熱海の海岸が選ばれたことと、金色夜叉の歌
    熱海の海岸散歩する  貫一お宮の二人連れ
    共に歩むも今日限り   共に語るも今日限り
が広く人々に愛唱されたことから、熱海は一躍脚光を浴びるようになり、今日、国際観光温泉文化都市として、全国有数の観光地に発展を成し得たのは、丹那トンネルの開通と共に金色夜叉が大きなきっかけになったのは言うまでもありません。
 金色夜叉の主人公貫一とお宮の名は「一月の十七日来年の今月今夜は、貫一は何処で此月を見るのだか!再来年の今月今夜・・・・十年後の今月今夜・・・・」の名台詞と共に、歳月の移り変わりのもかかわらず、人々の記憶に残り、いつまでも愛されていくでしょう。
 紅葉は、37歳の若さで死去し金色夜叉はついに未完に終わったが、紅葉の死後、彼の残した「腹案覚書」をもとに紅葉の高弟であった小栗風葉によって完成された。
 熱海市では毎年1月17日、作者を偲んで尾崎紅葉祭が行われる。貫一お宮のブロンズ像は、熱海市在住の日展審査委員館野弘青氏により製作され、熱海ロータリークラブが創立30周年の記念に、昭和61年(1986)年1月17日熱海市に寄贈したものです。
初代お宮の松 二代目お宮の松
お宮の松
 お宮の松は、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に由来し、命名されたものである。この松は、江戸時代前期(1645年頃)、知恵伊豆と呼ばれた老中松平伊豆守信綱が伊豆を巡視した際に植えさせた松の一本といわれている。この松は、その姿が美しかったことから、「羽衣の松」とも呼ばれていた。
 明治30年(1897)から読売新聞に連載された「金色夜叉」により、熱海海岸の場が登場したことから人気を集め、また、演歌師のつくった「金色夜叉の歌」が流行し、熱海温泉の名は一躍脚光を浴び、天下の熱海温泉を不動としたものである。このことから、大正8年(1919)熱海に別荘を持っていた「煙草王」村井吉兵衛や土地の有志によって、横磯に「金色夜叉」の碑が建立された。
 この碑には、紅葉の門人であった小栗風葉の句「宮に似たうしろ姿や春の月」が刻まれ、羽衣の松のかたわらに建てられたことから、いつしか「お宮の松」と呼ばれ、熱海の新しい名所となった。 また、この碑も女性的な感じから川端康成は、「石そのものも可憐な女の後姿に似た記念碑」と認めている。
 昭和24年(1949)、キティ台風により道路が崩壊されたことにより道路の拡幅が行われ、海側に伸びた大枝が切られ、また、観光地としての発展に伴い、自動車の排気ガス等によりとうとう「お宮の松」は枯れだした。(初代「お宮の松」の樹齢はおよそ300年で、現在のつるやホテル前の歩道から海に向かって約2mの場所にあった)。市では、市民皆様の協力を得て、二代目「お宮の松」の選定を始めた。
 その結果、50数本の候補から、熱海ホテルにあったクロマツを「お宮の松」に選定し、国際興業の社主であった小佐野賢治氏により寄贈を受け、小田原市の本多大四郎氏の所有する松を添松とし山種証券の山崎種二氏等の寄附並びに市内関連団体の多大な協力により、昭和41年(1966)現在の場所に二代目「お宮の松」として完成したものである。「お宮の松」の樹齢は、平成13年(2001)現在でおよそ95年、添松はおよそ75年になる。
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