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岸壁の母 引き揚げ桟橋   京都府舞鶴市
引揚桟橋
引揚桟橋 岸壁の母
引揚桟橋
 第2次世界大戦の終結後、海外に残された日本人は、軍人・軍属が330万人、一般邦人が300万人以上といわれ、これらの人々は、短期間にしかも一斉に帰国しなければならなくなった。政府は、昭和20年9月28日、舞鶴、浦賀、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島、横浜、門司を引揚港に指定して業務を開始した。この膨大な、海外からの引き揚げは、国内から駆けつけた肉親との再開は明暗と哀歓を織りまぜた人生の一大ドラマだった。同33年9月の最終船入港までの13年間、数多くの新聞、報道関係の記者、カメラマンの取材によって、内外に報道された。
 特に舞鶴は昭和25年以降、国内唯一の引揚港として最後まで重要な役割を果たした。 (舞鶴市HPより引用)
「 岸壁の母 」
 作詞 藤田まさと 作曲 平川浪竜 台詞 室町京之介  唄 菊池章子
1番 母は来ました 今日も来た 
この岸壁に 今日も来た 
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて
『また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない……
この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか……
港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ……。
帰れないなら大きな声で……
お願い……せめて、せめて一言……』
 
2番 呼んで下さい おがみます
ああ おっ母さん よく来たと
海山千里と 云うけれど
なんで遠かろ なんで遠かろ
母と子に
 
『あれから十年……あの子はどうしているじゃろう。
雪と風のシベリアは寒いじゃろう……
つらかったじゃろうといのちの限り抱きしめて……
この肌で温めてやりたい……その日の来るまで死にはせん。
いつまでも待っている……』
 
3番 悲願十年 この祈り
神様だけが 知っている
流れる雲より 風よりも
つらいさだめの つらいさだめの 杖ひとつ
 
『ああ風よ、心あらば伝えてよ。
愛し子待ちて今日も又
怒涛砕くる岸壁に立つ母の姿を……』
 
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