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<光耀山 千手院 観音寺>(かんのんじ)
寺伝では聖武天皇が天平13年、全国68ヶ所に国分寺・国分尼に寺を創建したときに、行基菩薩に命じて勅願道場として建立した。弘法大師がこの地を訪ねているのは弘仁7年(816)のころで、本尊像などを彫造して再興し、寺号を「観音寺」と改めた。
その後、「天正の兵火」にも罹災、蜂須賀家の帰依を受けて万治2年(1659)に宥応法師によって再建され、3代目徳島藩主・蜂須賀光隆公が再建し、現在に至っている。
境内と外界の境を塀ではなく、「金五拾円」「金二百円」などという寄進額を彫り込んだ石柱で区切っているのが他の寺とは違う。2、3段目画像は本堂。
本尊 |
千手観世音菩薩 |
真言 |
おん ばざらたらま きりく |
宗派 |
高野山真言宗 |
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大師堂 |
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<夜泣き地蔵>
子供の夜泣きを止めてくれる地蔵尊で、子供の病気平癒、健康と成長を祈願する。ご利益にあずかった人達がお礼に新しいよだれかけを奉納していく。
<仏足跡>
仏足跡とはお釈迦さまの足跡を印したものです。お釈迦さまが入滅され、現在のような仏像が造られる以前は、お釈迦さまの足跡を印し礼拝してきた。この左足の仏足はインドファ朝五世紀の作で最も古い仏足跡の模刻です。この仏足跡を合掌し、礼拝した手で身体の悪い箇所を撫でると罰障を減し、諸願成就するといわれている。 |
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