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<五台山 金色院 竹林寺>(ちくりんじ)
縁起では、神亀元年(724)ころ、聖武天皇が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は、行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じた。行基菩薩はこの地が天皇の霊夢にふさわしいと感得、自ら栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建てて安置した。その後、大同年間に弘法大師がここに滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場にされたという。
慶長6年(1601)に山内一豊公が土佐初代藩主になって以来、歴代藩主の帰依が厚く、祈願所として寺運は隆盛した。「文殊堂」と呼ばれる本堂は、江戸時代前期の建立で国の重要文化財。
本尊の文殊菩薩は50年に一度御開帳の秘仏で、切戸文殊、安倍文殊とともに日本三文殊の一つに数えられている。また、四国八十八箇所のうち文殊菩薩を本尊とするのは竹林寺だけである。
本尊 |
文殊菩薩 |
真言 |
おん あらはしゃ のう |
宗派 |
真言宗智山派 |
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<本堂>(文殊堂)
本尊は獅子に乗った文殊菩薩坐像で秘仏。通常は前仏が見える。本尊は50年毎の開帳で次回は2064年。 |
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<大師堂>
寛永21年(1644)土佐2代目藩主山内忠義の奉献によって建立。大師像を拝観できる。 |
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<びんずる尊者>
お釈迦さまのお弟子のひとりで、人々の体の悪いところを治してくださるという信仰があり、『撫で仏』ともいわれる。具合が悪い部分とびんずる尊者の同じ部分を撫でて祈願する。 |
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<五重塔>
塔とはインドの古い言葉で「 スツーパ」といい、それが中国で音訳されて「卒塔婆」、さらに略されて 「塔」と呼び慣わされるようになったもので、その起源はお釈迦さまの霊骨
(仏舎利) をお祀りする墳墓にはじまる。
最初その形は土饅頭型でしたが、やがて、仏教がインドから中国、そして日本へと東漸伝播するに伴いその姿は各地の風土や人々の精神に合わせ移り変わり、今日、わが国では三重・五重の層をなす塔姿となったものです。
今、天空にそびえ立つ塔を仰ぎ見れは、その姿は仏教東漸の長き歳月と伝来の幾多の風土の中、数限りない人々の仏を慕い仏に祈る心がひとつの形に清らかに昇華されたものとも映りましょう。
当山には古くは三重塔があったが、明治32年(1699)年の台風により倒壊、爾来、塔再建を悲願としてきたが、昭和55年(1980)12月、全国より多くの般若心経写経奉納の浄業を得、五重塔として復興することができた。
鎌倉時代初期様式、 総高31.20m、間口4.80m、総檜造り、使用木材1,320石、使用瓦2,800枚、宮大工延べ人数5,400人。建築工事はその設計施工全般を香川県詫間町
富士建設株式会社 (真鍋利光社長)が請負、京都宇治の工匠 岩上政雄氏がその施工にあたった。塔内にはインド・ブッダガヤより勧請されました仏舎利を納め、
また、初層内陣には大日如来を奉安してある。 |
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境内の景観。山門左手の宝物館には藤原時代から鎌倉時代にかけての国指定重要文化財の仏像17躰が収蔵されている。 |