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| 寺伝によると、 孝謙天皇の勅願により、天平勝宝年間(749〜756)に僧行基が開創したという。このとき、天皇から数流の旛を賜ったので「幡多寺」から「繁多寺」と呼ばれるようになり、「畑寺」の地名も生まれたという。 |
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<東山 瑠璃光院 繁多寺>(はんたじ)
『一遍聖絵』によると、正応元年(1288)、一遍上人が、最後の遊行に出る前に大宝寺や岩屋寺を巡拝して当寺に3日間参籠し、そのとき、亡父如仏の追善のために三部経を奉納した。
応永元年(1394)、後小松天皇の綸旨を受けて京都の泉湧寺から、当山第7世住職となる快翁宗師が下向し、以後多くの高僧が来住した。盛時には末院が120か寺に及んだという。当寺の梵鐘は元禄九年(1696)年の銘があり、あらゆる階層の人々百人の寄進によって造られた寺宝である。また、徳川将軍家綱の念持仏であったという大聖歓喜天を祀っている。
<本堂>
前殿に後殿を増築し奥に広くなった構造で、非公開の薬師如来坐像と両脇仏は日光月光菩薩、向かって左脇陣には地蔵菩薩半跏像。
| 本尊 |
薬師如来 |
| 真言 |
おん ころころ せんだり まとうざ そわか |
| 宗派 |
真言宗豊山派 |
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<大師堂>
センサーで参拝者が来ると大師像がライトアップされる。向かって左脇には中興の祖・聞月上人像。 |
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| 境内の景観。鐘楼は、元禄9年(1696)に信者の寄進による梵鐘で、天井絵には中国の二十四孝をモチーフに描かれている。境内の周辺は、景観樹林保護地域に指定された美しい自然の宝庫。 |