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<赤亀山 寺山院 延光寺>(えんこうじ)
寺伝によれば神亀元年(724)に聖武天皇の勅命を受けてに行基が薬師如来を刻んで本尊とし、本坊ほか12坊を建立したのが開創とされている。当時は、薬師如来の瑞相にちなんで亀鶴山と称し、院号は施薬院、寺名を宝光寺と呼び、また、本尊の胎内には行基が感得したという仏舎利を秘蔵したと伝えられている。
その後、桓武天皇の勅願所となり、空海が来錫して再興、脇侍の日光・月光菩薩を刻んで安置、本堂脇に眼病に霊験のある「目洗い井戸」を掘ったとされる。
天正7年(1579)長曽我部元親は、支配した讃岐の金毘羅大権現(松尾寺金光院)を「四国鎮撫の総本山」とするべく当寺の坊の一つである南光院の院主を呼び寄せ名を宥厳と改名させ院主とした。
その後、豊臣秀吉に敗れた長宗我部元親が高知に退却後の慶長5年(1600)には、宥厳を呼び戻し当寺の住職に据えた。宥厳は自分が持っていた南光院を奥之院とし、当寺は修験兼帯の真言寺とする。当寺は長宗我部家の後ろ盾もあり繁栄し、慶安4年(1651)に当寺から独立した南光院も隆盛したが、長宗我部家が滅亡し山内藩となると南光院は次第にその勢力を失っていき当寺も衰退した。
明治初年の廃仏毀釈の影響で当寺は一時期廃寺となるも、明治22年(1889)に再興された。
本尊 |
薬師如来 |
真言 |
おん ころころ せんだり まとうざ そわか |
宗派 |
真言宗智山派 |
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<本堂>
広々とした境内に建つ堂宇は、本堂と大師堂のみ。 |
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<大師堂>
本堂のすぐ横にある大師堂。 |
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地蔵型大師像。延喜11年(911)の刻銘が入った梵鐘は、国の重要文化財。赤い亀が背中に梵鐘を乗せて、竜宮城から持つ帰ったという。このことから赤亀山延光寺と改められた。 |