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<医王山 養珠院 浄瑠璃寺>(じょうるりじ)
寺伝によると、和銅元年(708)、僧行基が奈良の大仏開眼に先だち開山、自ら白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩と、眷属として十二神将を彫造して安置した。寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んだ。
約百年後の大同2年(807)、唐から帰朝した弘法大師がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復し、四国霊場の一寺とした。
室町時代末期、荏原城主の平岡通倚が病に苦しみ、この寺の本尊に祈願し、まもなく全快したため、土地を寄進し堂宇を建立し、深く帰依したと伝えられる。その後、正徳5年(1715)に山火事で建物、本尊すべてが焼失したという。
江戸時代中期、この村の庄屋井口家から仏門に入り、当寺の住職になった堯音(1732〜1820)が寺を再興したと伝えられている。堯音は、久万からの遍路道が、毎年のように出水時に流され、人々が難儀していることを知り、七六歳で托鉢僧となった。
各地を回り喜捨を集めた堯音は、岩屋寺あたりから順に川に橋をかけ、最後に立花橋をかけた。今も、丹波橋、出口橋など、堯音がかけた八本の橋の名の幾つかが伝えられている。
本尊 |
薬師如来 |
真言 |
おん ころころ せんだり まとうざ そわか |
宗派 |
真言宗豊山派 |
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上段画像は本堂、下段画像は大師堂。現在の堂宇は天明5年(1785)に再建された。 |
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