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<醫王山 鏡池院 清瀧寺>(きよたきじ)
縁起によると、養老7年(723)行基菩薩が行脚していたところ、この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。これを本尊として堂舎を建て、「影山密院・釋本寺」(けいさんみついんたくもくじ)と名づけて開山したのが初めと伝えられている。
弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日(7日間)の修法をした。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。そこで山号や院号、寺名を現在のように醫王山鏡池院清瀧寺と改め、霊場とした。
江戸時代には土佐藩主の帰依が厚く、寺領百石の寄進を受けるなど、七堂伽藍を備え、末寺10数ヶ寺をもつ土佐路の大寺であった。
寛文8年(1668)本堂が全焼する火災があり、その後、再建される。その際、火災防止のため金毘羅を勧請し、現在の琴平神社本殿は天保2年(1831)再建されたもの。江戸時代は繁栄したが、明治4年(1871)廃寺となり、明治13年(1830)再興された。
本尊の薬師如来立像は国指定の重要文化財。
本尊 |
厄除薬師如来 |
真言 |
おん ころころ せんだり まとうざ そわか |
宗派 |
真言宗豊山派 |
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厄除け祈願の名刹で、そのシンボルが本堂の屋根より高い像高15mもある大きな薬師如来像である。台座の中にある狭い階段を、お経を唱えながら手探りで進む「戒壇めぐり」をすれば、厄除けにご利益があるといわれている。 |
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大師堂。 |
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境内の景観。 |
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