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岩屋寺は標高700mにある山岳霊場で山全体がご本尊『不動明王』とした珍しい札所です。 |
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<海岸山 岩屋寺>(いわやじ)
寺伝によれば、弘仁6年(1815)霊地を探して山に入った空海は、山中で神通力を備えた法華仙人という女性と出会う。仙人は空海に帰依して山を献上した。空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立して本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊としたという。
山号の「海岸山」は空海の作とされる「山高き谷の朝霧海に似て松吹く風を波にたとえむ」の歌による。山中の霧を海にたとえた歌である。
鎌倉時代中期に一遍上人がこの寺に参篭したことは一遍聖絵に描かれている。そして、いつからか第44番大寶寺の奥の院とされていたが、明治7年(1874)に初代住職が着任した。だが、明治31年(1898)に仁王門と虚空蔵堂(祠)を残し堂宇と史料宝物のほとんどを焼失した。その後、大正9年(1920)に本堂より一回り大きい大師堂を再建、昭和2年(1927)に本堂、昭和9年(1934)に山門、昭和27年(1952)年に鐘楼、昭和38年(1963)年に宿坊、昭和53年(1978)に迫割不動堂と白山権現堂と順次再建されていった。
本尊 |
不動明王 |
真言 |
のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん |
宗派 |
真言宗豊山派 |
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<本堂>
昭和2年(1927)落慶。本尊は秘仏であるが、前立ちの不動明王坐像と脇仏の赤い制?迦童子・白い矜羯羅童子を拝顔できる。 |
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<大師堂>
岩屋寺は、四国霊場第45番札所として知られている。大師堂は、 本県出身で大蔵者臨時議院建築技手であげた河口庄一が設計監督し、現場監督は冨永常吉、児嶋嘉太郎、大工は窪田文治郎、冨永榮三郎、高野亀吉、彫刻は林琴次、高石源治郎らで、
大正9年(1920)に建築された。
大師堂は宝形造で銅板葺である。 構成は伝統的な寺院建築を基調としているが、向拝柱にはエンタシスを付け、柱頭部にバラと組紐飾り状の装飾を施すなど細部意匠に西洋建築の手法を取り入れながらまとめられており、
我が国の近代建築意匠上、 高い価値が認められる。国指定重要文化財。 |
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山全体を本尊とするという縁起のとおりに、背後の巨岩(金剛界峰)と一体となるよう建てられている。
<国指定名勝>
仁淀川の上流直瀬用とその付近の丸十九谷に渡って広がる名勝岩屋は、 四国八十八ヶ所45番札所、海岸山岩屋寺を中心とする地域である。
ここには金剛界峰、 胎蔵界峰と呼ばれる100mほどの二大奇れきがんほう峰を含む無数の礫岩峰がそびえ、 特異な景観を示している。第三紀礫岩層からなるこれらの礫岩峰にはイワヒバ、セッコク、フウラン等が群生し、
谷あいにはスギ、トチの巨木老木がおい茂り、地質学・植物学的にも貴重な資料となっている。
岩屋山の山頂は旧遍路道から岩屋寺に登りつめた峠近くにある。 そこからの眺めは素晴らしく、晴れた日には、郡内一円の高峰が一望できる。 |