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<百々山 東明院 善楽寺>(ぜんらくじ)
縁起によると、桓武天皇が在位されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。土佐一ノ宮の別当寺として、もう一つ別当寺としては、神宮寺という寺もあり、共に一の宮の別当寺として法灯を維持し、栄えた古刹である。
以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えている。とくに土佐2代藩主・山内忠義公のころには武門の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめた。
だが、明治新政府による神仏分離により共に廃寺となるが、その際、神宮寺を善楽寺に合併させ、続いて善楽寺を廃寺とするという措置がとらた。.
昭和4年(1929)に再興されるまで苦難の日々が続いた。その後、2ヶ寺で納経ができるなど混迷の時期を経て、善楽寺を30番札所、安楽寺を奥の院にするということに決まったという。
本尊 |
阿弥陀如来 |
真言 |
おん あみりた ていせい から うん |
宗派 |
真言宗豊山派 |
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本堂
<仏足跡>
仏足跡とはお釈迦さまの足跡を印したもの。お釈迦さまが入滅され現在のような仏像が造られる以前は お釈迦さまの足跡を印し礼拝してきた。
この左足の仏足はインドグプタ朝五世紀の作で最も古い仏足跡の模刻です。この仏足跡を合掌し礼拝した手で身体の悪い箇所を撫でると罪障を滅し 諸願を成就するといわれている。 |
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本堂左隣の大師堂は大正時代の建立。ここの大師像は「厄除け大師」として知られ、厄年にお参りしたり、交通安全などを祈願すると霊験があらたかと伝えられる。 |