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<独鈷山 伊舎那院 青龍寺>(しょうりゅうじ)
弘法大師が唐に渡り、長安の青龍寺で密教を学び、恵果和尚から真言の秘法を授かって真言第八祖となられ、帰朝したのは大同元年(806)であった。
縁起では、大師はその恩に報いるため日本に寺院を建立しようと、東の空に向かって独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるようにと祈願した。独鈷杵は紫雲に包まれて空高く飛び去った。
帰国後、大師がこの地で巡教の旅をしているときに、独鈷杵はいまの奥の院の山の老松にあると感得して、ときの嵯峨天皇に奏上した。大師は弘仁6年、この地に堂宇を建て、石造の不動明王像を安置し、寺名を恩師に因み青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」を名のっている。
明治の頃まで土佐7大寺といわれ、末寺4ヶ寺、脇坊6坊をもつ名刹であった。江戸時代初期には一時、寺運が衰退する。荒廃した寺は土佐二代藩主・山内忠義が、正保年間(1644〜1648)に再建した。また、宝永4年(1707)にも津波と地震で大きな被害を受けたため、江戸末期にも再建されたという。
本尊 |
波切不動明王 |
真言 |
のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん |
宗派 |
真言宗豊山派 |
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<本堂>
本尊にある不動明王は、弘法大師が入唐のさい、暴風雨に遭遇した際、波を鎮めてくれた不動明王を模したものです。今でも航海の安全や豊漁、世間の荒波をも鎮めてくれると、海で働く人々の信仰が特に深い。近海はもとより遠洋漁業に出港する船の出る前には、乗組員一同が祈願に来ます。
ともに安置されている愛染明王は家庭円満、縁結びの信仰を集めており、鎌倉時代の作とされ国の重要文化財。 |
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<大師堂>
本堂のすぐ左手に大師堂。境内に本堂、大師堂、薬師堂が一直線に並んでいるが、これは唐の青龍寺の配置を模しているという。 |
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本堂に行くまでの170段の石段を上る。途中に、緑の中に朱色が美しい三重塔が目に入る。 |