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寺の開創説話に、炭焼き小五郎にちなむ伝承の「一夜建立の御堂」がある。豊後国(大分県)の炭焼き小五郎が黄金を発見して真野長者となった。あるとき、船で難波に向かう途中、高浜沖で大嵐にあったが、瀧雲山(経が山森)に光明を見て助かった。翌日、登ってみると、小さな草堂に十一面観音が祀られていた。長者は霊験に報いるために、国に帰り、材を船に積んできて、一夜で堂宇を建立したという話である。この真野長者堂は、現在、本堂の左に祀られている。
寺伝によると、この寺は、天平11年(739)、聖武天皇の勅願により僧行基が開いたという。平安時代には、冷泉から近衛までの歴代天皇が十一面観音像を奉納している。伊予の豪族河野氏は、嘉元3年(1305)と文明17年(1485)に本堂、山門などの大修理を行った。その後、松山城主加藤嘉明、松平家歴代藩主の帰依を受け、今日に至っている。 |
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<瀧雲山 護持院 太山寺>(たいさんじ)
太山寺本堂 一棟 国宝 (造物)昭和31年(1956)6月28日指定
桁行七間、梁間九間、一重、入母屋造、二軒、本瓦葺で、全国屈指の規模を誇る密教寺院本堂である。柱、梁などの木組みも大きく豪放であるとともに、和様を基本にしながら虹梁や挿肘木等には禅宗様や大仏様の手法が使われるなど、三建築様式の融合した調和美がある。内陣が土壇になっているのは全国でも珍しく、蟇股の工作も鎌倉期を代表するものと評価されている。
本堂内陣の須弥壇に安置されている木造十一面観音像七躯は、寺伝によると聖武天皇が勅納の仏像で、厚い信仰の対象となっている。像高150p前後で一木造である。容姿は優美で調和のよくとれた藤原時代の秀作である。重要文化財
(彫刻)
・木造十一面觀音立像 一躯
・木造十一面觀音立像 六躯
| 本尊 |
十一面観世音菩薩 |
| 真言 |
おん まか きゃろにきゃ そわか |
| 宗派 |
真言宗智山派 |
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| 本堂から左手の階段をさらに登ったところにある大師堂 |
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<梵鐘 一口> 鐘楼堂の鐘 室町時代(永徳3年(1383)
愛媛県指定有形文化財(工芸品)昭和40年4月2日指定 鋳銅製で、高さ116p、直径61pである。
池の間(乳の間の下にあるほぼ方形をした区画。4区ある)に、やや丸みを帯びた楷書で陰刻がある。『大日本国与州和気郡大楽山西方寺撞鐘 豊後州丹生荘大工正悦造 永徳三年
卯月三日』
この銘文によると、永徳3年(1383)室町時代初期、新興仏教が全国に広がり、信仰が盛んになった頃鋳造されたものである。当初は銘文のとおり松山市伊台の西方(法)寺にあったが、いつのころからか太山寺の鐘楼におさめられている。 |
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寺が隆盛したのは孝謙天皇のころで、七堂伽藍と66坊を数えるほど壮観であった。弘法大師は晩年の天長年間、護摩供の修法をされて、それまでの法相宗から真言宗に改宗している。
のち、後冷泉天皇をはじめに、後三条、堀河、鳥羽、崇徳、近衛の6代にわたる各天皇が、十一面観音像を奉納されている。いずれも像高は150p前後で、本尊の十一面観音像とともに国の重要文化財。本堂内陣の厨子に安置されている。なお現本堂は長者の建立から3度目だが、真言密教では最大規模を誇り国宝である。 |