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磐田原台地の最北端に位置する全長48mの前方後円墳で、 5世紀後半 (1,6000年前)に造られたと推定される。昭和61・62年度に行われた県教育委員会の確認調査で以下のことがわかった。円筒埴輪や人物埴輪、馬形埴輪、家形埴輪、甕形土器が出土しtえいる。
| 計測値 |
全長 48m |
前方部長 18m |
| 後円部径 28m |
周溝幅 5.7m |
| 周溝深さ 1m |
後円部頂標高 124.50m |
| 出土遺物 |
円筒埴輪、 形象埴輪 (人物) |
甕形土器 |
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古墳の頂部付近から眼下の景観を見ると一面の茶畑。血松塚古墳の名称の由来は、昔、ある人が墳頂に生えていた大きな松の木を切り倒そうとしたところ、その松から血のようなものが流れ出たとの伝説からきている。
このほか市内には、 築造時期や大きさがほぼ同じである二子塚古墳(三ヶ野)がある。血松塚古墳北方の大手内古墳群とともに、磐田原台地の古墳群変遷を語る上で貴重なものです。 |
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