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見付宿 東海道   静岡県磐田市
見付宿・旧見付宿脇本陣大三河屋門
旧見付宿脇本陣大三河屋門
 江戸時代、宿場には街道を往来する大名や公家が宿泊する施設として、本陣が決めらていた。脇本陣は、本陣を補うための宿泊施設で、本陣に次ぐ規模、格式を持っていた。大三河屋は、はじめ旅籠屋であったが、文化2年(1805)に脇本陣となった。 
 この門は、2本の本柱上に冠木をわたし、その上に梁と切妻屋根を載せている。武家や商家の屋敷の門には棟門が使われるが、脇本陣の玄関を飾るためか、小さいながら薬医門の形をした門です。 
 屋根は桟瓦葺きの切妻造りで、大棟の両先端には小型の鯱(しゃち)を配置し、大棟両端から降棟が付けられ、その先端部には獅子を表した飾り瓦である留蓋が置かれている。降棟によって、重厚で落ち着きのある印象を与え、由緒ある脇本陣の格式と伝統をかもし出している。 
 かつて見付から中泉の中津川家に移築され同家の門として使用されていたが、平成17年、市に寄贈され、平成19年に移築復元した。(磐田市指定文化財)
見付宿・見付宿絵図
見付宿絵図
 東海道見付宿の俯瞰図です。宿場の家並み、本陣、脇本陣、問屋場、高札場、一里塚などのほか、町や小路の地名、周辺部の地名、神社、見付刑場、端城、城之崎城、秋葉街道(姫街道)、名物すっぽん等、見付全体が分かる絵図です。
 江戸時代の見付宿は、見付町とも称し『見附』の文字も多く用いられた。明治22年(1889)町村制施行にあたり、見付町が成立。昭和15年(1940)磐田町の大字となり、昭和23年(1948)磐田町の市制施行により同市の大字となう。
見付宿
東海道見付宿
 浜松宿から天竜川に来ると池田の渡しがあり、川を渡り池田から森下の村々を過ぎて中泉村から街道は北に折れ、いよいよ見付宿の西の入口である境松(現・市内中央町)に入り、ここで初めて富士の高嶺を仰ぐことができたといわれている。松並木道の両側には中泉府八幡宮や国分寺があり、この辺りは茶店が並び、名物の五文取り(あん餅)が売られていた。
 これより只木坂を下ると、やがて左右に横町(現・市内見付加茂川町)の家並みが見えてくる。西光寺前の加茂川の土橋を渡ると西の木戸があり、行くことしばし東に折れて西坂の伝馬宿に入り、総社(淡海国玉神社)や高札場、本陣のある馬場に着く。
 中川橋を渡って東坂までの一帯は、問屋や旅籠屋が軒を並べ、飲食店や雑貨店などがこの間に混じり、賑やかな宿場を形成していた。
 東木戸を過ぎ左に天下の奇祭「見付天神裸祭り」で知られる天神の社を見て坂道(東坂)にかかり、登ったところに一里塚がある。この辺りを三本松(現・市内富士見町)と言い、見付宿の東のはずれとなる。 
見付宿 見付宿・問屋場跡
(見付宿石碑) (問屋場跡)
見付宿・本陣跡 見付宿・脇本陣跡
(本陣跡) (脇本陣跡)
見付宿・東坂の梅塚 見付宿・西坂の梅塚
(西坂の梅塚) (東坂の梅塚)
西坂の梅塚> 
 見付東坂町、西坂町にそれぞれ一本の梅の木があり、通称東坂の梅の木・西坂の梅の木と呼ばれている。これを梅塚という。 
 この梅塚は、昔、陰暦八月始めに、一筋の白羽の矢が町家の棟高く突き刺され、この家を年番と申し、娘を怪物の犠牲に備えた家の前にそのしるしとして植えたものだといい伝えている。そして西坂梅塚はその最後のものであったという。矢奈比売(やなひめ)神社例大祭神事 「御斯葉下し」(みしばおろし)には、町内一三箇所に榊立を行ない、洗米を献じ神官が祝詞を奏上するが、東坂・西坂両方の梅塚もこの一三箇所内にあり、同じように神事を行っている。
見付宿・西木戸跡 見付宿・西木戸跡
木戸風モニュメント・西木戸跡
 木戸とは、江戸時代の都市において隣り合う二町の境界、武家町・町人町の境界または町と在との境に設けられた保安用の門のことです。
 二本の親柱の間に門扉を付けたもので、昼間は扉を開いており通行自由であったが、非常の場合や夜にはこの扉を閉じて通行を停止していた。見付宿では、東と西の入り口に木戸が設けられていた。
見付宿・大久保家の門 見付宿・大久保家の門
 淡海国玉(おうみくにたま)神社の神官を長く務めた大久保家の門。大久保家は、幕末には遠州報国隊を結成して倒幕運動に参加している。また、磐田文庫や旧見付学校に設立に大きな功績をのこしている。共に国指定史跡になっている。
見付宿・見付宿家並イメージ模型 見付宿・見付宿家並イメージ模型
見付宿家並イメージ模型
 見付宿の東西の町並は約1.3q、東の木戸と西の木戸の間が見付宿です。東側には東海道の南北に一里塚(愛宕)がある。街道沿いには家々が軒を連ねている。そのほとんどが商売屋、旅籠屋などです。宿の両端には茶屋が集まっている。百姓の家もまばらに見られる。
 主な施設に問屋場がある。問屋場は宿場の最も重要な機能、伝馬を担う場所です。中川の西側にある。また、町のほぼ中央には南北に本陣が2軒あり、南本陣の東側には脇本陣がある。旅籠は本陣のある中央近くに集まっている。古文書などには天保14年には56軒あったと記されている。文化文政期(1800年代初め)に、旅ブーム(参詣)が起こり、それまで百姓などであったもの約20軒が商売替えし、旅籠屋となっている。また、北本陣の西に高札場がある。
見付宿・見付宿場通り
 現在の「見付宿場通り」(旧東海道)。都市開発され往時の面影は全くない。
○天保末期の見付宿の職業区分
商業 269軒 農業  122軒  工業  47軒 
医師 3軒  無職 4軒     
○商工業の内訳
旅籠屋  41軒  茶屋  22軒  荒物屋  19軒 
呉服屋・古手屋  16軒  米屋  13軒  小間物屋  13軒 
大工  12軒  肴屋  11軒  酒屋  10軒 
足袋屋  10軒  菓子屋  8軒  餅屋  7軒 
青物屋  7軒  飴屋  7軒     
見付宿・二脚型 角行灯 見付宿・二脚型 角行灯
二脚型 角行灯
 中に油皿を据えて灯火をともす。
見付宿・香時計 見付宿・香時計
香時計
 上部の香炉でお香を焚き、その燃え具合によって時刻を知るように工夫されたもの。もっぱら寺院などで用いられ常香盤とも呼ばれた。
見付宿・銭箱 見付宿・銭箱
銭箱
 銭を入れておく箱。延宝2年と書いてあるので、今から約400年前のものと思われる。
見付宿・置行灯 見付宿・置行灯
置行灯
 最も一般的な室内型の行灯。縦長の箱型で、内部には灯明を置く台、上部には持ち運び用の取っ手が付いている。
見付宿・御用提灯箱 見付宿・十手
御用提灯箱
 奉行所で、御用提灯を折りたたんで入れておいた箱。
十手
 江戸時代に、犯罪者逮捕用に使った武器。犯人の腕を強く打って、抵抗力を少なくし、鉤(かぎ)の部分で刀を防いだ。
見付宿・袖搦
袖搦>(そでがらみ)
 もじりともいう。刺叉(さすまた)、突棒(つくぼう)と捕り物の3つ道具と呼ばれ、抵抗する人をおさえる際に使用された。
関東
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甲信越
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東海
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豊川 御油宿 御油の松並木 赤坂宿
岡崎 藤川宿 藤川宿の松並木
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日坂宿 岡部宿 有松宿 七里の渡し
見付宿
中山道 瑞浪 琵琶峠石畳 細久手宿
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落合の石畳
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