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明治23年(1890)、網走外役所創設当時と、明治42年(1909)の火災焼失後復旧した正門と外塀は木造だった。これを永久的な物にするため明治45年(1912)に用地内粘土で煉瓦の製造をはじめ、大正8年(1919)から5年かけて築造した。これが今も網走刑務所の象徴となっている『赤門と呼ばれている』正門である。(煉瓦門)
高さ4.5m・全長1,086m、使用した煉瓦は150万枚で、基礎石や塀の上の笠石も用地内から採掘した軟石を用いている。 |
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<網走刑務所は、凶悪犯が送られる劣悪な環境の刑務所?>
かつて脱獄が一番困難な刑務所といわれた網走刑務所。昭和の時代、網走刑務所は凶悪犯が送られてくる劣悪な刑務所という少し時代錯誤的なイメージが定着していた。それゆえ映画『網走番外地』シリーズの舞台になり、この映画のヒットによってさらにそのイメージが強化された。「網走帰り」は、凶悪な前科者の代名詞にもなっていた。
昭和43年(1968)、網走刑務所が長期収容者の施設から懲役8年未満のB級施設に変わってからも、このイメージは変わることなく人々の中に受け継がれていった。 |
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