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当地は明治30年(1895)、実業家であり、後に大阪商工会議所会頭も務めた稲畑(いなばた)勝(かつ)太郎(たろう)(1862〜1949)が日本で初めて映画(シネマトグラフ)の試写実験に成功した場所である。
明治29年(1896)、万国博覧会の視察と商用でパリを訪れた稲畑は、フランス留学時の級友リュミエール兄弟の発明したシネマトグラフ(映写機兼カメラ)と、その興行権,フィルムを購入し、リュミエール社の映写技師兼カメラマンのコンスタン・ジレルを伴って帰国した。そして翌明治30年1月下旬から2月上旬にかけての雪の降る夜、京都電燈株式会社の中庭(現在の立誠小学校跡地)で国内初の映画の試写実験に成功した。
映画の上陸は、単にヨーロッパの文化や最新技術を日本に伝えただけでなく、人・もの・事物を記録し伝える映像メディアの始まりであり、新しい娯楽・芸術産業の始まりでもあった。この地を起点にした日本映画は20世紀を代表する国民娯楽に成長していった。 |
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