|
|
|
|
|
|
|
|
「万里の長城」とも呼ばれていた田老地区の長大な大防潮堤。この大防潮堤は、平成23年(2011)3月11日の東日本大震災による大津波に対して役に立ったのだろうか。結果は掲載画像の通りである。
この地方は、明治29年(1896)の「明治三陸津波」、昭和8年(1933)の「昭和三陸津波」により大きな被害を受けた。そのため、防潮堤の建設に取り掛かり、昭和33年(1958)に全長1350m、基底部の最大幅25m、地上高7.7m、海面高さ10m
という大防潮堤が完成した。その後増築が行われ総延長2433mという長大な防潮堤ができあがっていた。昭和35年(1960)のチリ地震津波では、この防潮堤があったため田老地区の被害は少なかった。
しかし、今回の東日本大震災の大津波は、この長大な防潮堤を遥かに乗り越えていったのである。
東日本大震災・大津波は3月11日であるが、掲載画像の撮影は5月20日で、まだ復興どころではない様子がうかがえる。後世への記録のために掲載しておく。
国土交通省 東北地方整備局 釜石港湾事務所のHPに田老地区の防潮堤の画像と解説があるので、参考までに載せておく。(以下の画像と解説) |
|
|
|
<宮古市田老地区(旧田老町)防潮堤 〜万里の長城〜>
昭和8年の大津波被害を契機に、各地で本格的な防浪堤の建設や、港湾、漁港の整備が始まりました。中でも、近年二度に渡る激甚被災地となった田老町の取
り組みは早く、「万里の長城」と呼ばれる長大な防潮堤が、全国に先駆けて町を取り囲むように建設され、昭和33年3月に完成しています。防潮堤は海面から
10、45メートルの高さで、総延長が約1,350メートルに及び、二度に渡る悲惨な歴史を繰り返すことのないよう、人々が穏やかに生活できるように見守っています。
また、漁港としての整備も進み、二重三重に整備された消波堤や防波堤が、高波や津波への備えをいっそう確かなものにしています。
国土交通省 東北地方整備局 釜石港湾事務所 |
昭和35年(1960)のチリ地震津波では、この防潮堤があったため田老地区の被害は少なかった。この時の波は3m程度で防潮堤まで波が届いていなかった。
|
|