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 <過ぎし日の記憶を巡る写真紀行


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阪神淡路大震災・語り部 焼け残った楠と電柱 神戸市長田区
類焼とめてなお生き残る楠
類焼とめてなお生き残る楠 類焼とめてなお生き残る楠
御蔵公園の楠
 見よ、この楠を。震災で幹を枝葉を焼かれたが、大地がしっかりとこの楠を支えた。この楠もまたこれにここたえた。自ら苦しみながら、悩みながらも大空高く伸びる大樹を志している。自然の美しさ、豊かさ、厳しさ、神秘がここにある。
 ”類焼とめて 尚生き残る 楠の大木” (御菅カルタより)
焼け残った電柱 焼け残った電柱
 平成7年(1995)1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災で焼け残った電柱である。現存する震災の「語り部」です。震災後の区画整理事業で町並みは全て変わった。この電柱だけが撤去や移転を免れ当時の「現地」を示す唯一の証人です。 
焼け残った電柱
しあわせ運べるように>    作詞・作曲 臼井真先生
 地震にも負けない 強い心をもって
 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
 支え合う心と明日への 希望を胸に
 響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
 地震にも負けない 強い絆をつくり
 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
 やさしい春の光のような 未来を夢み
 響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
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