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F−86F型機は、 昭和28年(1953)年頃、米国で昼間戦闘機として開発された。我が国では、昭和31年(1956)から昭和36年(1961)までの間、
三菱重工業で約300機生産され、以来26年余 「旭光」の愛称で日本の空の防衛の主役として活躍した。
東京オリンピックや大阪万国博覧会会場の上空で見事なページェントを披露した初代のブルーインパルスは本機と同型機です。この749号機は、昭和32年(1957)に生産され、全国の第一線基地で活躍した後、昭和55年(1980)から浜松基地において展示され訪れる見学者の目を楽しませてきた。
この度、 旧明野陸軍飛行学校 天竜分教所の跡地に袖浦公園が完成したことを記念して戦争の悲惨さと平和の尊さを永遠に後代に伝えることと航空科学の普及のため、浜松基地から特別に提供していただき、展示することになった。
< 諸元等>
| 乗員 |
1名 |
全幅 |
11.99m |
| 全長 |
11.4m |
全高 |
4.5m |
| 製作(輸入) |
ノースアメリカン社 |
(国産) |
三菱重工業 |
| エンジン |
1 基 |
名称 |
J47-GE-27 |
| 推力 |
2,760kg |
種別 |
ターボジェット |
| 製作 |
米国GE社 |
自重 |
4,967kg |
| 最大速度 |
約1,100km/h |
航続距離 |
約1,220km |
<明野陸軍飛行学校 天竜分教場跡>
戦争が拡大するにつれて、陸軍は多数のパイロットが必要となり、天竜分教場はその養成のための飛行場として造られた。昭和14年(1939)に工事が始められ、約200haの耕地や池などを埋め立て、4の格納庫と東西約1600mの滑走路2本、射撃場、兵舎が建設された。練習機(2人乗り)や97式戦闘機、一式戦(隼)などの飛行機を使い、実戦に参加できる訓練が行われた。戦争末期には、アメリカ軍の攻撃を受け、近隣の家も大きな被害を受けた。戦後、天竜分教場跡は開拓され、現在は公園内に格納庫の一部が残るのみである。 |
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