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河合純一の母親役で出演した田中好子さんは、平成23年(2011)4月21日亡くなった。55歳の若さで。乳がんでした。田中好子さんは、1970年代に一世を風靡した人気アイドルグループ「キャンディーズ」のメンバーで、「スーちゃん」として親しまれていた。長年がんと闘っていたことを知るよしもなかった。「夢追いかけて」にも出ている。素晴らしい映画をありがとうございました。 |
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<夢追いかけて 「夢は実現してこそ夢」>
私たちは一人一人、いろいろな夢を持っています。でも実現させるのはとても難しい。夢を実現するには、様々な苦難を乗り越えなくてはならないのです。この物語は、ひたむきな努力によって夢を実現させ、そして今、更に新しい夢に向かって努力を続ける河合純一という全盲の青年の真実と感動の半生の実話を描いた映画です。
舞阪町に生まれた純一青年は、生まれつき左目の視力がなく、そして中学3年の時に残っていた右目の視力も失いました。全盲というハンディキャップ、しかし、彼はそれに決して屈することはありませんでした。年少時から続けていた水泳では過去3回のパラリンピックに出場、計14個のメダルを獲得。そして、現在、将来の夢であった教師として母校である舞阪中学校(静岡県浜名郡舞阪町・現浜松市立舞阪中学校)で教鞭をとる彼は、夢を実現するために並々ならぬ努力と情熱をそそいだのです。
彼の真摯に生きる姿は地元舞阪の人々に勇気と希望を与え、応援する人々の愛の力は更に大きな感動のうねりとなって、舞阪、静岡から飛び出して全国に拡がっています。人と人との絆で拡がっていくこの映画は、ともすれば見過ごされがちな”人間愛”を描き、その感動は私たちの心を洗います。この映画は私たちに明日への希望を与えてくれるでしょう。
<河合純一プロフィール>
1975年4月、静岡県浜名郡舞阪町(現・静岡県浜松市西区舞阪町)に生まれる。先天性ブドウ膜欠損症という目の病気で生まれつき左目の視力がなく、中学3年で右目の視力もなくなった。筑波大付属盲学校、早稲田大学教育学部と進み、1998年4月より母校の舞阪町立舞阪中学校社会科教師になる。
1992年、バルセロナパラリンピック競泳100、50メートル自由形で銀メダルを獲得、1996年アトランタパラリンピック競泳100、50メートル自由形で金メダルを獲得。2000年シドニーパラリンピックでは日本選手団主将を務める。また同パラリンピック競泳50メートル自由形、400メートルメドレーリレーで金メダルを獲得する。
浜松市立舞阪中学校教諭から静岡県立総合教育センター指導主事になる。同所を退職し、参議院静岡選挙区、衆議院静岡7区の選挙に立候補したが落選。
平成28年(2016)、IPCからパラリンピック殿堂入りを果たす。現在、日本パラリンピアンズ協会会長。 |
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