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野茂英雄 トルネードが開いた道
朝日新聞「日米200勝の報道」
 野茂英雄投手が日米200勝を記録した。これこそ文字通りの偉業である。これを記録しておくために、あえてここに載せておく。
<踏み出した一歩の重み>
 野茂日米200勝
 すべてはこの右腕投手から始まったのだった。野茂英雄、日米通算二百勝達成。米メジャーリーグへの道を開き、日本野球の可能性を大きく広げた開拓者の、滞米11年目の価値ある記念碑だ。

 近鉄バファローズ(当時)を退団し、1995年にメジャー入りを果たした時には、球界が大揺れに揺れたものだった。球団との関係がこじれ、かってない形で米国行きを実現したために批判も受けた。だが、そこで思い切った決断を下し、意志を貫き通したことが、今回の偉業を、さらに後に続いた日本選手の成功をも引き出したのである。
 36歳の快挙をひときわ価値あるものにしているのは、何回もの試練を乗り越えてきたことだ。解雇や故障にめげず、そのために復活を遂げてきたトルネードにはただ感服するほかない。ドジャーズを振り出しに、現在所属するデビルレイズまで述べ8球団を渡り歩いたキャリアは、そのままこの鉄腕の強靱な精神力を表している。
 そうした姿に刺激を受けて、多くの日本選手が続いてメジャーに挑むこととなった。日本初のメジャーリガーは60年代の村上雅則さんだが、実質的なパイオニアとしての野茂の存在は限りなく大きい。
 史上3位の早さでメジャー1千本安打を達成したイチローや、松井秀喜ら現在メジャーに在籍する日本選手は12人。一人の決断と不屈が確かな流れを作ったのである。
 メジャー志望者が増えるたびに、日本野球の空洞化が懸念される。スターの流出で面白くなくなるというのだ。だが、そう心配するものでもない。なんといってもプロ野球は長い歴史と多くのファンを持つ「国民的娯楽」である。一人がメジャーに行っても、また一人、穴を埋める選手が登場するだろう。その分、球界に厚みが出るともいえる。
 それにしても、最初に道を開く先駆者の偉大さを思わずにはいられない。野茂以前には、日本選手がメジャーでこれほど活躍するとは考えられなかったはずだ。一人が一歩を踏み出したことによって、のちの豊かな成果がもたらされたのである。
 スポーツに限らず、どの世界でも同じだろう。決断し、最初の一歩をしるす者が出てくるかどうか。それによって、後にできていく道がまったく違うかもしれないのだ。
 未踏の荒野を目指すには勇気がいるし、さまざまな摩擦に耐える心も求められる。簡単ではない。が、常に誰かが一歩を踏み出すからこそ、この社会は進んでいくのである。(中日新聞 2005年6月17日)

<開拓者精神をこれからも>
 野茂200勝
 自らの可能性を信じ、挑戦を続ける人間の価値ある記念碑だ。右腕一本を頼りに、近鉄と大リーグ7球団を渡り歩いてきた野茂英雄投手が、日米通算200勝を達成した。
 90年に近鉄でデビューしてから5年間で78勝をマーク。95年に大リーグへ渡り、2度のノーヒット・ノーランを含む122勝を積み上げた。その数字には、開拓者としての重みがたっぷりと詰まっている。いまの大リーグでは、野茂投手をはじめ1千本安打を達成したイチロー選手やヤンキースの松井秀喜選手ら10人以上が活躍している。大リーグの国際化という流れはあったにせよ、野茂投手が切り開いた道といっていい。
 テレビ中継で大リーグに触れたことで日本のファンの野球を見る目が肥えた。有望な選手は米国を目指すようになった。そのことが日本球界に変革を促している。これも野茂投手の功績だ。
 彼が大リーグを目指した当時、日本人選手の移籍について日米にははっきりしたルールや規定がなかった。外国人選手の「輸入」はあっても、「輸出」は想定外であった。まして4年連続最多勝のパ・リーグを代表するエース投手である。球団の反対を振り切り、日本球界へはもう戻れないという、文字通り退路を断っての挑戦だった。そこから、持ち前の速球とフォークボールをおりまぜた投球で大リーグの強打者をほんろうした。その姿は、バブル経済の崩壊で自信を失っていた日本人に少なからぬ勇気を与えてくれた。米国内にも「ノモマニア」と呼ばれる熱狂的なファンが生まれた。選手会の長期ストなどでファン離れが深刻になっていた大リーグにとっても、救世主的な存在になった。
 もともと冗舌な人柄ではない。しかし、その言葉の端々や行動に彼のメーセージをくみとることができる。
 例えば、次の目標はと聞かれても、具体的な数字や記録を語ることはほとんどない。「先発投手の責任である7回をきちんと投げること」といったコメントが返ってくる。そこにはチームや仲間に対する責任感の強さと、それを果たしてきた者のプライドがにじんでいる。
 米独立リーグのチームに出資する一方、日本では社会人野球に「NOMOベースボールクラブ」を設立した。後に続く若い選手に機会をつくってやることが先人の責任、という思いなのだろう。
 8月には37歳になる。体をくるりとひねるユニークな投法は不変だが、肩やひじの手術を重ねたことで、かつての剛球はない。そこをこれまでの経験と高度な投球術で埋め、トルネード投法を進化させている。「まだ15年しか投げていません」と野茂投手は言う。彼のパイオニア精神が次にどんな新境地を切り開いてくれるのか。これからの挑戦が楽しみだ。(朝日新聞 2005年6月18日)

野茂投手引退 トルネードが開いた道
 腕っぷし自慢の大リーガーをきりきり舞いさせたトルネード(竜巻)投法はもう見られないのか。多くの人がそんな感慨にひたったに違いない。
 太平洋をはさんで日米の野球界を席巻した野茂英雄投手が、現役引退を表明した。
 野茂投手が海を渡ったのは95年(平成7年)だった。胸元に食い込む速球と大きな落差のあるフォークボールで旋風を巻き起こし、並み居る米国の剛腕を抑えて球宴で先発した。13勝6敗で新人王、奪三振王のタイトルまでさらった。
 日本ではこの年、阪神大震災に始まり、オウム真理教による地下鉄サリン事件やバブル経済の崩壊による金融機関の破綻が相次いだ。
 そんな中で、衛星放送で生中継された野茂投手の活躍は、人々の心をなごませ、励ました。「暗い世相に沈む日本人の心に唯一明るい灯を点じた」との理由で菊池寛賞を受賞したのもうなずける。
 見逃せないのは、野茂投手の活躍が米国での日本人のイメージを大きく変えたことである。
 野茂投手は「日本」を背負って米国へ向かったわけではない。むしろ、日本の伝統的な根性野球と管理主義に疑問を投げかけ、追われるように日本球界を去った。
 マイナーリーガーの扱いで、何のつても持たず、徒手空拳での挑戦だった。味方チームの打撃が振るわず敗れても、寡黙で謙虚さを失わない。そうした姿勢が、一度見たら忘れられない独特の豪快なフォームと合わせて米国の人々の心を揺さぶった。
 米国人からすれば、意外だったのではないか。80年代後半に金にあかせてニューヨークやハワイの不動産を買いあさり、集団的な行動を好む従来の日本人像とはまったく違ったからだ。
 当時のクリントン大統領は「日本の最高の輸出品」と呼んだ。それだけ野茂投手の姿が鮮烈だったのだろう。
 野茂投手は日米合わせて20年近いプロ生活で、計201勝を挙げた。引退は一つの時代の終わりだが、彼は記録以上のものを残した。
 イチロー、松井秀喜、松坂大輔らスター選手が後に続いた。日本のプロ野球が空洞化したとの見方もあるが、大リーグが身近になって、中学生や高校生の野球人気は盛り返している。
 米国からは選手だけでなく、監督も続々とやって来るようになった。そうした活発な人材交流も、野茂投手の開いた道があったからだろう。
 野茂投手はこれまでに米国でマイナー球団に出資し、日本ではクラブチームをつくっている。自らを超える個性派を育て、大リーグに対抗できるような魅力あるリーグを日本に再構築する。そんな夢に向かって、さらに歩み続けてもらいたい。(朝日新聞 2008年(平成20年)7月19日)

引退する時に、悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る。

 「引退するときに悔いのない野球人生だったという人もいるが僕の場合は悔いが残る。自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強い」引退時の言葉。
 どんな時にでも、夢の実現に向かって、次へ次へと進んで行こうとする野茂英雄の人生観がにじみでている言葉であると思う。立派だったといいたいが、これでは過去形になってしまうので、立派であると現在形とする。
 今まで非常に多くのことを学ばせていただいた。無言の励ましでもあった。
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