我が家の長屋取り壊しに寂しい思いをしていたのは父でもなければ跡取りの弟でもなく私でした。父に聞いたところ「明治42年の築」と柱に記されていたそうです。
私の祖父が申すに我が家は気賀の方に領地を持つ武士(清和源氏)でありましたが、遊び人がでて土地を売って暮らし山から落ちてきたのだそうです。○○にタマネギ栽培を伝えたのも・・・?○○の姓が近辺に多いのも・・・だとか!!!
あのころは聞く耳持たず何を斜陽族がと、反感を持って聞いていましたがしっかり聞いておけばよかったとこの年になって思います。一番我が家のルーツを聞いていたのもこの私だと言うことでなんとも情けない話です。
菩提寺は一度火災にあって系図が焼失しているとか。てなことで、おちぶれてここまでたどり着き建てた家の一部長屋もついに・・・長持ち・大八車・弁当箱・田船等すべて処分されました。刀狩りを逃れたがらくた刀(中刀)は残っているようです。…… (F.S
さんより) |