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<大蔵寺>
宝城山大蔵寺の開創は、平安初期に東北鎮護を祈願した坂上田村麻呂が千手観音を造立せしめたことによるとされ、また、徳一大師の開眼とも伝えられる古刹です。
江戸末期まで、阿武隈川の西岸に300石近い大蔵寺村があり、この寺の御朱印地だったといわているように、寺は初め大蔵寺村にあったと伝えられている。
それが東岸に移り、さらに、ここ小倉山の観音堂とともにあるようになったのはいつの頃かは明らかではない。かつては天台宗だったよだが、江戸時代前期に臨済宗に改められ、現在に至っている。
山麓のしだれ桜に迎えられて、山路の参道を登りつめる、視界の広いこの地に達する。その山門も、適地に配された堂宇も今はなく、茅葺きの方丈と庫裏だけとなっている。しかし、さらに足を運ぶと、観音堂や奥の院、また近代的な収蔵庫、さらに八幡神社など、全山が史跡と古美術の宝庫となっている。 |
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桜を見に来たのだが、鮮やかな紅葉も発見する。白い桜花の前に枝を広げる紅葉も美しい。
<稚児桜>
文政4年の大蔵寺の縁起の中に、この桜がすでに老木だったと記してある。
南北朝時代に鎌倉の建長寺の自休蔵主和尚が滞在、でひ訪ねて来るようにと帰ったそうだが、鎌倉まで白菊丸は蔵主を慕ってはるばると訪ねて行ったのに、逢えなかったので江の島の稚児が淵に身を沈めてしまったのです。
あまりにも哀れということで、ここに桜を植えて菩提をとむらい、福島の西大平寺に稚児塚あり、現在史跡になっている。
扇面に辞世の句あり
白菊と信夫の里の人間はば思い 江の島と答えあれ |
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