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この桜は、「円山の枝垂桜」、「祇園の夜桜」として惜しまれながら昭和22年(1947)枯死した枝垂桜の2代目です。初代の枝垂桜は、八坂神社が、祇園感神院と呼ばれていた頃、その坊の一つ宝寿院の庭にあったものといわれている。
明治初年、この付近の地が官有地に編入され、樹木が伐採されようとしたとき、明石博高氏が名木を惜しみ、譲り受けて京都府に寄贈し、のちに円山公園が京都市に移管されるに伴って、市の管理となった。
初代の桜は、樹齢二百余年、根廻り約4m、高さ約12mに及び、明治中頃には盛観を極めたといわれている。 |
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現在の桜は、十五代佐野藤右衛門氏により、昭和初年に初代の桜から種子を採って育てられたもので、昭和24年(1949)に寄贈、植栽された。この桜の正式な名は、「一重白彼岸枝垂桜」といい、数多い桜の中でも最も寿命の長いものといわれている。 |
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