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室町幕府第三代将軍足利義満の管領細川満元が応永年間この地に金閣寺造営の余材をもって邸宅林泉を築く。応永33年(1426)満元の没後、この邸宅を岩栖院と称す。
慶長15年(1610)徳川家康が岩栖院を南禅寺に移して、この地を後藤長乗(彫金師)に与える。長乗は加賀の前田利常や小堀遠州の助力を得て「擁翠園」を造営し、後藤屋敷として名が知られるようになった。
庭園は琵琶湖を形どっている。庭園には蓬菜島唐破風鳥居、船倉、キリシタン灯籠、名石、後藤ふじ等があり、特に名木白椿「欺雪」(ぎせつ)が名高い。
寛文5年(1665)一乗関白兼香夫人が老後を養うため、生家の紀州徳川家から「浜御殿」を移築し、この地に住まわれた。 |
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