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石巻市中心部のなだらかな丘陵地にある公園で、標高が56mあるので眺めがよい。眼下には旧北上川、石巻港、市内の町並みなどや、天気の良い日には、牡鹿半島や遠く松島など一が望できる。
この公園にはヨメイヨシノなど約400本の桜があり、桜の名所として知られている。江戸時代には元禄2年(1689)に松尾芭蕉と曽良が訪れている。園内には二人の像が建てられている。
訪れた時は、東日本大震災から1年以上経過しているが、まだ津波被害が傷跡が残っていた。復興はまだ緒についたばかりのようだ。
<川村孫兵衛重吉>
天正3年(1575)長州(山口県)に生まれる。毛利家に仕え、20代前半、伊達政宗の家臣となる。
治山治水に優れた技術を発揮、政宗の命令で北上川改修工事の責任者となる。工事は元和2年(1616)から寛永3年(1626)に至り、工事費ねん出のため自ら借財、あるいは工事現場に泊まり込むなど、筆舌に尽くせぬ労苦を重ねる。
この大改修により石巻から盛岡に至る舟運が開かれ、葛西家滅亡後寒村に過ぎなかった石巻は一躍米の集散地となる。河口周辺には仙台、盛岡、一関、八戸各藩の米倉が立ち並び、江戸へ米を運ぶ千石船が往来繁栄を極めた。治水に伴って流域では32万石余の新田開発も行われ、地域の発展に計り知れない恩恵をもたらす。
工事完成後は石巻に住み、慶安元年(1648)、74歳で世を去る。
河北新報社は石巻市制施行五十周年に当たり、港町石巻の基礎を築いた大恩人としての業績を後世に伝えるためここに川村孫兵衛重吉の銅像を建立、石巻市民に寄贈する。 昭和58年(1983)8月1日 河北新報社 |
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