奈良時代、貴族は屋敷に垣を巡らし庭に池や流れをつくった。曲水の宴は屈曲した流れの前に座り上流から盃が流れてくる間に歌を詠み、流れてくる酒を飲む優雅な遊びである。ここにつくられた曲水池は奈良市が特別史跡として1985年に復原した「平城京三条二坊宮跡庭園」の曲水の形状をもとに修景したものである。
<水琴窟>(右下画像)
蹲い(つくばい)の排水の部分に設ける水琴窟は、手洗いして捨てた水が清らかな音を立てる仕掛けである。そのため洞窟の材料、形、大きさ、排水、滴水の方法、量、間隔によって微妙に音色がかわる。細部構造は、日本庭園技法の中でも最たるものがある。江戸時代中期から庭園施設として取り入れられた。
<浜北ゆかりの万葉歌>
作者 不詳 |
伎倍人(きへひと)の 斑衾(まだらぶすま)に 綿さはだ
入りなましもの 妹(いも)が小床(をどこ)に |
作者 不詳 |
あらたまの 伎倍の林に 汝(な)を立てて
行きかつましじ 寝(い)を先立たぬ |
作者 不詳 |
あらたまの 寸戸(きへ)が竹垣(たかがき) 編目ゆも
妹(いも)し見えなば われ恋ひめやも |
若倭部身麻呂 |
わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に
影さへ見えて 世に忘られず |
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