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披雲閣庭園は、大正3〜6年(1914〜1917)に松平家第12代当主松平ョ壽(よりなが)が高松城の三ノ丸に「披雲閣」を建設した際に、東京の庭師大胡勘蔵(おおこかんぞう)によって作庭された庭園です。三ノ丸には江戸時代に御殿があり、北東側2箇所の築山が絵図に描かれていることなどから、一部江戸時代の庭園を残しながら作られたと考えられる。マツ・ウバメガシを中心とした植栽の中に多数の景石(けいせき)・石造物を配置している。
景観を大きく特徴づける構成物として、北東から南西方向に流れる枯川(かれがわ)と、北東に2箇所、西に1箇所、披雲閣蘇鉄の間北側に1箇所の築山が見られる。枯川の周囲には多くの石造物が配置されている。
特に、枯川の中ほどには一つの花崗岩を刳(く)り抜いて作った精巧な石橋があるほか、披雲閣の大書院北側には高さ2m、重量11トン余りと言われる大型の手水鉢がある。庭園内には経路に沿って飛石が縦横に配され、建物の軒先には沓脱(くつぬぎ)石が配されているが、これらも大型の花崗岩を用いている。また、庭園内には昭和天皇・皇后陛下がお手植えになられた松もある。 |
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