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佐倉城址公園は、佐倉市指定史跡である佐倉城跡を整備した歴史公園です。本丸、二の丸、三の丸はもちろん、さらにその外縁の郭も広大かつ良好に残り、その郭の一部には国立歴史民俗博物館がある。
天守閣跡や巨大な馬出し空堀、水堀に守られた南出丸や西出丸は必見です。
天守閣跡脇には、土井利勝が庭木として植えたと伝えられる樹齢約400年の「夫婦もっこく」(千葉県指定天然記念物)がある。また、シイ、カシ、モミジなどの大木がいたる所にある緑多き公園であり、春には約50種類1100本もの桜が咲き誇る。
昔、乳母が若君を池のほとりで遊ばせていた際、あやまって若君を溺れさせてしまったという悲しい話が伝わる「姥が池」や、茶室「三逕亭」、堀田正睦の銅像、正岡子規の句碑などがある。 |
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<常磐木や 冬されまさる 城の跡>
明治期における俳句・小説・文芸評論・写生画などの活躍した正岡子規(1867〜1902)は、明治27年(1894)12月、本所駅(現錦糸町駅)−佐倉駅間に開通した総武鉄道に初乗りして佐倉の地を訪れている。
子規は、総武鉄道佐倉駅(現JR佐倉駅)より、まず佐倉の街の広がる「馬の背」のような台地を眺め、「霜枯れの佐倉見上ぐる野道かな」を読んでいる。現在の表町、新町方面より、日清戦争における清国人の捕虜収容所となっていた海隣寺の前を通っている。 その後、海隣寺坂(現市役所脇の坂)を下り、田町を抜け、田町の堀付近(現歴博下水堀付近)で城を眺め、この句を読み、もとの道を佐倉駅へ引き返している。
子規は佐倉の麻賀多神社で幼少期を過ごした鋳金工芸作家の香取秀真や旧佐倉藩士であり佐倉で幼少年期を過ごした洋画家の浅井忠とも親交があった。 「霜枯れの佐倉見上ぐる野道かな」の句碑は、JR佐倉駅前城南橋付近にある。 |
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