この地は江戸時代旧盛岡藩主南部美濃守の下屋敷であったが、明治29年(1896)有栖川宮御用地となり、更に大正2年(1913)高松宮御用地となった。その後児童の自然教育および健康に格別の関心をもたれた高松宮殿下が昭和9年(1934)1月5日故有栖川宮威仁(たけひと)親王の命日にちなんで御用地約11,000坪(36,325u)を公園地として賜与され、当時の東京市は直ちに工事を進め、同年11月17日有栖川宮記念公園と命名し開園したものです。
本園は都心にまれな閑雅な地であり丘陵より渓谷を下り、池畔に至る地形の変化とうっそうとした樹木は日本古来の林泉式の修景により、高雅な自然趣味の庭園となっている。また梅や花水木(はなみずき)、睡蓮などを初めとして四季おりおりの花も多く、秋にはカエデやモミジの紅葉も楽しむことができる。
なお、園内丘上の広場には本園にゆかりの深い故有栖川熾仁(たるひと)親王の銅像があり、またこの銅像の北東部一帯(都立中央図書館および港区立麻布運動場等)31,235uが昭和48年(1973)4月1日本園に編入され本園の総面積は67,560uとなった。 |