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最上段の画像では水が全くないが、夏には、水が流れ子供たちで賑わう水路になる。
<曳舟川物語>
江戸時代の後期、篠原村から亀有村の堀では曳舟が行われていました。かって本所方面に上水を供給していた古上水堀は川底が浅く、流れが緩やかであった為、魯で漕ぐことが困難でした。そこで、5、6人のリの小船を網で引く、いわゆる曳舟が行われました。引く方法には川筋を挟んで両側から引く方法と片側のみで引く方法がありました。 |
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<曳舟川の由来>
曳舟川は、江戸幕府が明暦3年(1657)の大火ののち、開発に着手した本所・深川方面の新市街地へ、飲料水を供給する目的で開削された水路。成立は万治2年(1659)といわれ、亀有上水あるいは、本所上水・小梅上水とも呼ばれた。水源は瓦曽根溜井(埼玉県越谷市)で、亀有に入ってからは東側に中井堀を分水し、四つ木付近までは二条の水路が平行して流れていました。亀有上水の廃止は享保7年(1722)のことで、小梅より南の水路は埋め立てられましたが、上流部はそのまま用水として残され、古上水堀と称された。
上水の廃止後、篠原村(現四つ木)から亀有村間の二八町(約3km)の水路を利用して「サッパコ」という小舟に人を乗せ、土手の上から長い綱で肩にかけて引くことが始まり、「曳舟川」と呼ばれるようになった。
帝釈天詣や水戸街道に出る旅人が利用した曳舟は江戸東郊の風物として人気を呼び、多くの紀行文や、初代歌川(安藤)広重の「名所江戸百景」などに情景が描かれている。
<ビオトープ>
ここにある小川や湿地は、いろいろな生き物が住みやすいようにつくられている。木や草、水草が育つにつれて、トンボやチョウ、メダカなどが住み着くようになる。
ビオトープに住み着く小動物:ミンミンゼニ、シオカラトンボ、オンブバッタ、メダカ、アオスジアゲハ、ヤマトシジミ、ミズスマシ、エンカコロギ。 |
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