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大正〜昭和にかけて首相、蔵相を務めた高橋是清の邸宅跡を公園にした。高橋是清は、安政元年(1854)幕府御用絵師の子として江戸に生まれた。その後、仙台藩足軽の養子となり、藩の留学生として渡米した。明治22年(1869)帰国。経歴をかわれ文部省、農商務省、日本銀行総裁に就任した。大正2年(1913)山本権兵衛内閣で蔵相となり、立憲政友会に入党。原敬内閣で蔵相を務めた。
原敬首相暗殺の後、総理大臣、政友会総裁にもなった。1925年に引退するも、昭和2年(1927)に4度目の蔵相につく。その後も犬養毅、斎藤実、岡田啓介の内閣で蔵相を務めた。1936年の「2.26事件」で暗殺された。83歳であった
昭和13年(1938)10月、高橋是清翁記念事業会がこの地を当時の東京市に寄付し、昭和16年(1941)6月、東京市が公園として開園した。その後、昭和50年(1975)港区に移管された。第2次世界大戦の空襲により高橋是清ゆかりのある建物は焼失してしまったが、母家は故人の眠る多摩霊園へ移築されていたため難を免れ、現在は都立小金井公園にある江戸東京たてもの園へ移されている。戦時中撤去されていた高橋是清の銅像も昭和30年(1955)に再建された。
現在の面積は5,320uで、国道246号線の拡幅等により開園当初よりやや減っているが、和風庭園はほぼ当時のままの姿で残されている。園内は池を中心として石像や石灯籠が配置され、樹木はかえで、もっこく、うらじろがし、くすのき等たくさんの種類があり落ち着いた雰囲気を醸し出している。 |
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