セントラルパーク |
久屋大通公園 名古屋市中区
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名古屋市の中心部・繁華街の栄地区に、南北約2qにわたる久屋大通公園がある。その公園は、北から順に、リバーパーク、セントラルパーク、エンゼルパークと呼ばれており、セントラル・パークは久屋大通公園の中心的な存在になっている。名古屋テレビ塔がそびえているので目につく。周辺には愛知芸術文化センター、NHK名古屋放送局、松坂屋名古屋本店、丸栄本店、名古屋三越といったデパートが至近距離にある。
市中心部であるが、木々に囲まれており、様々なモニュメントが設置されている。また、イベントの開催も多い。 |
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<パリの街灯の由来>
この2基の街灯は平成5年(1993)4月、パリ市のシャンゼリゼ委員会から、名古屋中央大通連合発展会との友好提携3周年を記念して、名古屋市に贈られたものである。
夜のシャンゼリゼ大通りを照らしていたこれらの街灯は、これまで門外不出のもので、J・シラク・パリ市長の特別の計らいで、セントラルパーク地上公園に設置された。フランスの建築家J・ヒトーフ(1792〜1867)がデザインし、19世紀に作られたこの街灯は、ベル・エナック爛熟期を物語る貴重な文化遺産であり、パリ市民と名古屋市民との永い友好のシンボルとなるものである。 |
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<アステカの暦>
名古屋市とメキシコ市との姉妹都市提携を記念して、メキシコ市から贈られたものである。 |
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<「小袖懸けの松」の由来>
この地は、名古屋台地の東端線に位置し、名古屋城築城以前は、自然に恵まれた眺望のよいところであった。築城後は、基盤割の街づくりがされ、この辺りは袋町筋と本重町筋の間で町人の町・小塚町(のち、小市場町と合併)として栄えた。
その昔、この地に「小袖懸(こそでか)けの松」よ呼ばれた古い松があり、古書に多くの伝説が記されている。
一.治承3年(1179)平清盛により京を追われ井戸田(現瑞穂区)に謫居(たっきょ)していた太政大臣藤原師長(もろなが)に関するものである。師長が謫居一年余の後、赦免され帰京の際、彼に馴れ仕えた娘に愛用の琵琶を贈った。娘は恋慕を押さえきれず送別の帰途、古松に小袖をかけ、入水したという。
二.いつの時代か不明であるが、兵乱のため、この辺の人々が四方に逃避し、乱が止んでそれぞれが地元に帰った。しかし、長者の娘は帰らず、両親は八方探し回った。娘の小袖が古松にかかっているのを見つけた。両親は悲嘆、小袖を埋め、塚を作ったという。
人々は、その松を「小袖懸けの松」または「小袖松」といい、この辺りを「小袖塚」というようになった。 |
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<ロサンゼルス広場>
名古屋市とロサンゼルス市は姉妹都市の間柄である。セントラルパークには、ロサンゼルス広場がある。 |
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ロサンゼルス広場にあるハリウッドのスターたちの手形・足形・サインなど。グレゴリー・ペック、ジュリー・アンドリュース、チャールトンヘストン、マリリン・モンローなどのサインが読み取れる。 |
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