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<栗きんとんの歴史>
風はめば 子ども思はゆ 久利(くり)はめば まして偲はゆ
奈良朝の歌人山上憶良の歌にもあり、栗は古くから食され、また年貢として納められたという記録もあるように、江戸時代には苗木遠山氏が上地木曽川畔の栗の実を、将軍家に献上していたという記録も残っている。中津川は山間地にあり山栗が多く収穫され、干栗・焼き栗・栗飯などのほか、茹でた栗の中身を取り出し細かくほぐし茶巾で絞った栗きんとんの原形も食されていた。しかもこの地では煎茶が盛んで、近所同士の交際も広く、互いのお茶うけ自慢も重なっ「栗きんとん」は山国の秋の味覚の一品として重宝がられてきた。
こうした地の利から、先人たちは栗の栽培がはじまったといわれる大正時代以前の明治の中頃にはすでに「栗きんとん」を商品として販売していたと言われ、今日では中津川を代表する銘菓として広く知られ親しまれている。(中津川駅前の碑文・3段目画像)
2段目画像は、栗きんとんの老舗「すや」の店舗と製造途中の湯気。 |
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