 |
|
 |
|
 |
|
|
|
<作礼山 千光院 仙遊寺>(せんゆうじ)
寺伝によると、創建は天智天皇の勅願により、伊予の国主・越智守興公が堂宇を建立、本尊の千手観音菩薩像は天皇の念持仏として、海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫って安置したとされる。このことから「作礼山」が山号となり、竜宮から届けられたという伝説もある。
さらに仙遊寺には、阿坊仙人という僧が40年にわたって籠り、七堂伽藍を整えるなどをしたが、養老2年に忽然と姿を消してしまったという伝説が残っている。寺名はその阿坊仙人に由来している。
弘法大師が四国霊場開創の折にこの寺で修法をされたとき、病に苦しむ人々を救済しようと井戸を掘り、また荒廃していた七堂伽藍を修復して再興、寺運は興隆した。この井戸は旧参道の脇に残り、「お加持の井戸」として多くの諸病を救ったと伝えられ、信仰されている。
江戸時代には荒廃して本堂と12社権現だけとなっていたが、明治時代の初期、高僧・宥蓮上人が山主となり、多くの信者とともに再興に尽力した。宥蓮上人は明治4年、日本最後の即身成仏として入定している。境内には、上人を供養した五輪塔がある。
仙遊寺は昭和22年(1947)にあった山火事により、本堂ほか堂宇すべてが全焼した。その際に「仙遊寺文書」も消失する。幸いなことに、近所の人の協力により、御本尊、大師像は救われて焼失をまぬがれた。その後、昭和28年(1953)に現在の本堂が、昭和33年に大師堂が再建された。
| 本尊 |
千手観世音菩薩 |
| 真言 |
おん ばざら たらま きりく |
| 宗派 |
高野山真言宗 |
|
|
 |
|
 |
|
 |
|
| 大師堂 |
|
 |
|
 |
|
| 境内は、山号になっている作礼山の山頂近い標高300mの高台にあり、今治の市街地や瀬戸内海に浮かぶ島々、「しまなみ海道」も一望できる眺望豊かな地にある。 |
|