 |
|
国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺の1つで、四国にも各県に一ヶ寺ずつある。いずれも四国霊場となっている。往時の国分寺はいまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置等から推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた巨大な寺院だった。
その後、度重なる戦乱で焼失し、現在は当時の場所から100m西に位置し、規模は縮小された。 |
|
 |
|
 |
|
 |
|
<金光山 最勝院 国分寺>(こくぶんじ)
縁起によると 国分寺は天平13年、聖武天皇の勅願により行基が開基。本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納、また大師の弟子・真如も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている。
堂宇は、天慶2年(939)の「藤原純友の乱」により灰燼に帰した。次に、元暦元年(1184)源平合戦の戦火による焼失。3度目は南北朝時代の貞治3年(1364)、讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれ、さらに4度目は長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失している。相次ぐ罹災で寺は荒廃、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」旨が記されている。
現在の本堂は寛政元年(1789)に恵光上人が金堂として建立。石門を入って正面が本堂。大師堂、毘沙門天、奈良時代から平安時代初期にかけての寺宝や文化財、旧国分寺からの出土品を保存した書院などが並んでいる。
| 本尊 |
薬師瑠璃光如来 |
| 真言 |
おん ころころ せんだり まとうざ そわか |
| 宗派 |
真言律宗 |
|
|
 |
|
 |
|
 |
|
| 大師堂 |
|
 |
|
 |
|
 |
|
境内に入って右手にあるのは、等身大だといわれている握手修行大師像。左手に鉄鉢を持ち、右手で握手ができるようになっている。この大師像と握手をして祈願すると願いが叶うといわれ、多くの参拝者がこの大師像の手を握り、手を合わせている。ただし、願い事は一つ。
春にはツツジや桜に彩られ、今治市指定天然記念物「唐椿」も見もの、多数のお遍路さんも訪れる。 |