写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <史跡を巡る写真紀行


 印象深い景色
坂道灯台横丁・小路街角通り温泉
 史 跡
街道史跡城・城跡人物奥の細道墓地・終焉地Play Back
 建築・構造物
伝統的建築先端建築神社漁港垣根
 自 然
池・沼海岸
 産業・交通
伝統・地場産業バスターミナル国内線自動車・バイク道風景
 四季の景色
棚田春景色夏景色秋景色冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台祭・イベント夜景テ−マパ−ク釣り
 管理人
管理人備忘録リンク集

山崎宗鑑冷泉庵跡 歴史と交通の要衝   京都府乙訓郡大山崎町
山崎宗鑑冷泉庵跡
山崎宗鑑冷泉庵跡
 宗鑑は本名を範重(のりしげ)といい、寛正6年(1465)滋賀県栗太郡常盤村志那で生まれた。彼の家は志那地区を支配した志那氏で足利将軍義尚に一族で仕えていた。しかし将軍義尚が佐々木高頼との合戦に破れたため世の無常を感じて剃髪し、入道となり生地を離れて大山崎に隠棲したのである。ここに山崎宗鑑が誕生する。
 彼は八幡宮社頭で月例会として開かれていた連歌会の指導や、冷泉庵での講を主催する一方、世に知られた「犬筑波集」を生み出した。また書も宗鑑流として多くの人々から珍重された。碑文の
 うつききて
   ねぶとに鳩や郭公(ほととぎす)
は掛詞を巧みに使い、その手法は後の俳諧の基礎となった。
山崎院跡 大山崎瓦窯跡
行基と山崎院
 奈良時代の高僧行基は聖武天皇の命で東大寺の建立に尽力した。また、機内に49の寺院を建立し、橋を架けたり堤を築いたり池を穿(うが)ったりしたといわれる。行基は神亀2年(725)に大山崎に至り、淀川に山崎橋を架橋、その後、橋を管理し行基の教えを広める道場として天平3年(731)に山崎院を建立した。
 平成元年(1989)・平成11年(1999)に行った発掘調査で、奈良時代の唐草文彩色壁画片、半丈六(8尺)の如来形などの塑像片、せん仏、人名を刻んだ瓦、緑釉陶器火舎と釜など、院に係わる多くの遺物が出土した。とりわけ唐草文彩色壁画片は、発掘調査出土品としては米子市の上淀廃寺に次ぎ国内2例目のもので、山崎院の堂内が色鮮やかな壁画で装飾されていたことを物語る貴重な資料となった。
大山崎瓦窯跡
 大山崎瓦窯跡は平成16年度(2004)に当地で行った発掘調査で発見された。当地付近では数十年前から平安時代前期の瓦が出土することが知られ、平安時代に設けられた山崎駅や嵯峨天皇の河陽離宮及び山城国府に関連する建物の遺構に関わり出土するものと考えられていた。
 発掘調査を始めてしばらくすると焼土に混じって、平瓦・丸瓦が大量に出土し、次いで瓦を焼く窯の一部と考えられる遺構が発見された。調査が進行するごとに窯の数は増え、最終的に六基が検出された。瓦窯内部や周辺からは平瓦。丸瓦の他、軒瓦が出土した。その文様から本瓦窯は9世紀前〜中葉に操業していたものと考えられる。また、平安宮朝堂院をはじめ、嵯峨天皇の離宮である嵯峨院、河陽離宮等の推定地から同箔の軒瓦が出土しており、大山崎瓦窯は宮殿の修理及び嵯峨天皇の離宮造営に伴い国営の瓦窯として開かれたものと考えられる。
 これまで平安京造営時やその後の修理に伴い瓦を供給していた瓦窯は吉志部瓦窯跡(吹田市)、栗栖野瓦窯跡(京都市左京区)、西賀茂瓦窯跡(京都市北区)が知られるに過ぎなかった。大山崎瓦窯跡の発見によって新たな供給地が明確になったことは平安京造営期の瓦生産の実態解明に大きな手がかりとなった。その遺構の重要性によって当瓦窯跡は国史跡に指定され、その後、国の補助金を得て大山崎町が買収した。
大山崎町 大山崎町
大山崎町の歴史
 大山崎町の位置が摂津と山城の境にあるため古代から交通の要衝として繁栄した。まず奈良時代には、僧行基によって山崎橋が架けられ、その真近には山崎津(港)が設けられて海陸の重要地点となった。やがて都は奈良平城京から長岡京に遷都され、都に最も近い港町として大勢の人々でにぎわった。長岡京はわずか10年間で廃都となったが、次いで平安京へと遷都され、大山崎町はますます繁栄をみせる。9世紀には国府・駅が設置され、酒造が行われて重要な地方都市となった。鎌倉時代には油座が誕生して強い力をもち、近畿一帯の専売権を握り、山崎長者と呼ばれる大金持が現れる程の中世都市に成長した。
 しかし、世に名高い天王山合戦を境として町の様子は大きく変化した。合戦後羽柴秀吉は天王山城を築城したもののやがて大阪城が完成すると、大山崎町にいた多くの職人たちも大阪へ移り、中世に強い勢力を誇った油座もついに解体してしまった。その後、江戸時代を通じ西国街道の宿駅として淀川筋の二十石船の港町として平穏な歴史が流れた。ところが幕末の動乱は本町にも押し寄せ、禁門の変で敗れた十七士が天王山で自刃し、彼らを追ってきた幕軍によって町は大火となり、明治の幕明けは町の再建から始められた。 
北海道
函館 造船所跡地 ペリー提督来航記念碑 宇須岸河野館跡
東北
角館・武家屋敷 山居倉庫 石場家住宅 旧金子家住宅 厩石
三内丸山遺跡@ 三内丸山遺跡A
関東
東京 築地塀 佃島渡船場跡 大洗堰跡new 山吹の里
お化け燈籠 処静院跡の石柱 蕃書調所跡 定火消発祥の地
銅燈籠 旧乃木邸 国学発祥の地 赤門
湯島聖堂 御鷹部屋 新暦調御用所跡 江戸城外堀跡石垣
石町時の鐘 キリシタン屋敷跡 勝・西郷の会見地 神田上水石樋の石
真砂遺蹟
東京(見附) 赤坂見附跡 日比谷見附跡 四谷見附跡
鎌倉 東勝寺跡 日蓮上人辻説法跡 北条時房邸跡
横浜 鉄の橋 横浜天主堂跡 象の鼻波止場 日本の新聞誕生の地
弘道館 ペリー上陸地
甲信越
長野 松代藩文武学校 川中島古戦場 象山地下壕 真田邸
開智学校
東海
関ヶ原合戦 家康最初陣地 関ヶ原決戦地 石田三成陣跡 島左近陣跡
名古屋 信長塀 蕉風発祥の地
浜松 米津台場跡 伊場遺跡 犀ヶ崖古戦場 徳川秀忠誕生井戸
江戸行六義人 中村家住宅 三方ヶ原古戦場
掛川 旅籠 川坂屋 藤文 旅籠 萬屋
伊豆の国 江川邸 願成就院 韮山反射炉 北条政子誕生井戸
下田 ペリー上陸地 吉田松陰寓寄処
馬防柵 桶狭間古戦場 旧見付学校 旧天城トンネル 畳石
高山陣屋 指月殿 崇廣堂 旅館 大橋屋
近畿
京都 寺田屋騒動址 落柿舎 御手洗井 池田屋跡
粟田口 インクライン 水路閣(琵琶湖疎水) 中院山荘跡
時雨亭跡 御土居 長坂口 閑院宮邸跡
阿国歌舞伎発祥地 翠紅館跡 京都御所 西行井戸
西行庵 神泉苑 西寺旧跡 高松殿址
二條陣屋 亀山藩京屋敷跡 応仁の乱勃発地 大極殿跡
高瀬川一之船入 高瀬川七之舟入址 草紙屋・八文字屋 土佐藩邸跡
化粧水 千利休居士遺蹟 不審庵 秦家住宅 野口家住宅
新選組最後の洛中屋敷 久坂玄瑞寓居跡 東三条院址 御陵衛士屯所跡
奈良(平城宮) 朱雀門 大極殿@ 大極殿A 大極殿の屋根
井戸枠 内裏正殿 築地回廊 磚積基壇建物
遺構変遷 宮内省 東院庭園 兵部省
第一次大極殿と朝堂院 第二次大極殿 檜皮葺
明日香 甘樫丘 高松塚古墳 飛鳥水落遺跡 石舞台古墳
大官大寺阯 川原寺跡
大山崎 天正・山崎合戦 山崎宗鑑冷泉庵跡
赤穂 近藤源八宅跡 大石頼母助屋敷門
山田寺阯 井筒屋 大阪城採石場 長屋門附塀 藤原宮跡
旧西川家住宅
中国
津和野 馬場先櫓 藩校養老館 多胡家表門 大岡家老門
萩城下町 松下村塾 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 旧湯川家屋敷
鍵曲 旧萩藩校明倫館 菊屋家住宅 旧久保田家住宅
旧佐伯丹下家屋敷
下関 朝鮮通信使上陸淹留地 七卿史跡 奇兵隊結成の地 長州砲
壇ノ浦古戦場
松江・武家屋敷 鞆七卿落遺跡
四国
池田の桟敷 旧喜多家住宅 旧永井家庄屋屋敷 塩飽勤番所跡 野村家(武家屋敷)
浦戸砲台場跡
九州
長崎 グラバー邸 亀山社中の跡 出島 居留地跡
鹿児島 仙巌園 医学院跡
ザビエル記念碑 島原・武家屋敷 知覧武家屋敷群 元寇防塁

忠臣蔵
東京 赤穂浪士の道 吉良邸跡 浅野内匠頭邸跡 赤穂浪士の墓
泉岳寺 南部坂 吉良家墓所(東京) 間新六供養塔
赤穂 大石邸長屋門 大石神社 花岳寺 こども歌舞伎
大石瀬左衛門 息継ぎ井戸 片岡源五右衛門 赤穂城
吉良 吉良家墓所(西尾)


Google
WWW を検索 写真紀行・旅おりおり を検索

「写真紀行・旅おりおり」の画像を利用したい場合は、「」より連絡してください。

Copyright(c) 2002-2018 写真紀行 All Rights Reserved.