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藤原定家・百人一首撰定の遺蹟「時雨亭跡
<後撰集と百人一首>
小倉百人一首は、古今集から続後撰集に至る十種の歌集から撰歌されている。ここには、古今集の次に撰定された後撰集から選ばれた七首の歌を紹介している。
後撰集は、「梨壺の五人」と称される大中臣能宣・清元元輔・源順・紀時文・坂上望城を撰者とし、天暦5年(951)に村上天皇の勅命を受け、昭陽舎(梨壺)に撰和歌所が置かれた。天暦9年前後に成立し、約千四百首の歌からなる。歌の配列順などは古今集を基準にしているが、古今集に比べ、日常的でくだけた感がある。
恋の贈答歌が多く、藤原氏を中心とする公達たち、当時の社交界の花形たちが女房(宮中に勤める女性)たちと様々に交わした恋の語らいや逸話が多彩に記されている。 |
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