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坂本龍馬が慶応元年(1865)に設立した日本初の商社を「亀山社中」という。亀山は坂本龍馬らが最初の拠点とした場所(地名)から命名し、社中は仲間という意味である。亀山社中は、後に「海援隊」と改称されている。社中のメンバーには、長岡健吉、近藤長次郎、陸奥陽之助、沢村惣之丞などがいる。
慶応2年(1866)、大量の小銃、蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬を行い、薩長盟約の結成に貢献している。
<紋服>(複製)
坂本龍馬が着ていた黒地羽二重の紋服です。龍馬が滞在していた京都河原町の醤油商近江屋の井口家に伝わった。坂本家の家紋「組み合わせ角に桔梗紋(くみあわせかくにききょうもん)」が入っている。着物の丈が145pなので、龍馬の身長は170pを超えると推定される。この時代としては大変大柄な人でした。紋服は、昭和15年(1940)に京都国立博物館へと寄贈された。
<坂本龍馬がはいていたブーツ>(再現品)
慶応年間に長崎で撮影された写真にこのような革靴が写っている。実際に用いたブーツは現存しないため、写真や当時のカタログを参考にして、長崎で復元製作されたものです。
<ピストル>(複製)
龍馬が愛用したアメリカ・スミス&ウェッソン社製のピストルの複製品です。慶応2年(1866)1月23日の夜、京都伏見の寺田屋で奉行所の捕方に襲撃されたときには、龍馬はピストルで応戦し難を逃れた。このときのピストルは、高杉晋作から贈られたものとされている。慶応3年(1867)11月15日に京都河原町の近江屋で刺客に襲われたときにも龍馬はピストルを持っていたが、使うことなく凶刃に倒れた。龍馬の手紙には時々ピストルの話が出てきます。 |
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