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旧太田脇本陣林家住宅は明和6年(1769)に建築された主屋と天保2年(1831)に建築された表門と袖塀、それに裏の二階の土蔵から成っている。
江戸時代に太田宿は、中山道の宿場町として栄え、大名や地位の高い人が泊まる本陣と脇本陣が各一軒あり、林家は脇本陣としての役目のほか太田村の庄屋や尾張藩勘定所の御用達をつとめた旧家である。
この建物を見ると主屋の両端の妻に卯建(うだつ)が建ちひときわ目をひくが、これは防火壁の役目を果たすと同時に、脇本陣の権威を象徴するものである。
又、この建物は中山道において脇本陣としての遺構を当時のまま残している唯一の建物であり、昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定された。
今でも脇本陣の前に立つと「したにーしたにー」と声をはりながら通っていった当時の大名行列や旅人の行き交っていた姿が目に浮かんでくる。 |
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主屋の卯建の鬼瓦に明和6年(1769)の銘が記されていることから建てられた時代がわかった。
江戸時代の中頃、林家は脇本陣を勤めるかたわら、庄屋として尾張藩太田代官の指揮下で宿の行政事務を執り、また、家業として質屋や味噌・溜の製造販売も営んでいた旧家だった。最盛期には、東西25間の間口、土蔵9棟、馬屋3棟、離れ座敷などを持つ壮大な構えだった。
<国重要文化財>
「旧太田脇本陣林家住宅」は、昭和46年(1971)に主屋・表門・質倉・借物倉が国重要文化財に指定され、のち、平成12年(2000)に、隠居家・附便所・附井戸屋・附塀5棟・宅地が追加指定された。大規模商家の屋敷構えを伝える数少ない貴重な遺構である。 |
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