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松代象山地下壕は、第2次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘のうちに、大本営、政府各省等を松代に移すという計画の下に構築したものです。着工は昭和19年11月11日午前11時。翌20年8月15日の終戦の日まで、約9ヶ月の間に当時のお金で約2億円の巨費とおよそ延べ300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され、1日3交替徹夜で工事が進められました。食糧事情が悪く、工法も旧式な人海作戦を強いられ、多くの犠牲者を出したと言われています。
舞鶴山(現気象庁精密地震観測室)を中心に、皆神山、象山の3ヵ所に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は10キロメートル余に及んでいます。全工程の75%の時点で終戦となり、工事は中止されました。
戦後は、訪れる人も少なく、忘れ去られようとしていましたが、太平洋戦争の遺跡として多くの人々にこの存在を知っていただくため、平成元年から見学できるように整備したものです。(長野市観光課HPより引用) |
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