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刑場は、江戸の北の入口(日光街道)沿いに設置されていた小塚原刑場と、南の入口(東海道)沿いに設置されていた鈴ヶ森刑場があった。
<火炙台>
八百屋お七を初め火炙(ひあぶり)の処刑者は、この石上で生きたまま焼き殺された。真中の穴に鉄柱を立て足下に薪を積み、縛り付けて処刑されたのである。 |
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<礫台>
丸橋忠弥を初め罪人がこの台の上で処刑された。真中の穴に丈余の角柱が立てられ、その上部に縛り付け刺殺したのである。 |
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鈴ヶ森遺跡は品川宿の南、東海道沿いに慶安4年(1651)に開設されたお仕置場の跡です。大井村鈴ヶ森の刑場は、東海道に面し、規模は元禄8年(1695)実施の検地では間口40間、奥行き9間であったとされる。
東海道(現在は第一京浜)の拡幅等により旧態を留めていない。大経寺はお仕置場に隣接し処刑者の供養のために建てられた寺で、髭題目を刻んだ石碑は元禄11年(1698)の建立とされる。
この鈴ヶ森刑場では、丸橋忠弥、天一坊、白井権八、八百屋お七、白木屋お駒など、演劇などで知られた者が処刑されたとされる。江戸の刑制史上重要遺跡です。隣接する大経寺の境内にある。(東京都指定文化財) |