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木村家の先祖は三河国挙母(愛知県豊田市)の藩士で岩村藩に招聘されて岩村へ移り問屋職となり、初代守重より代々が岩村藩の財政に貢献してきた。
木村家はしばしば岩村藩の財政窮乏のとき御用金を才覚して救い、岩村藩駿河領(静岡県)の水害や西美濃領(大垣市他)の麦の凶作のとき救済事業に尽力し天保5年(1834)の江戸藩邸類焼のとき復旧に多額の金品を用立てるなど歴史に残る事業の多くに活躍している。
代々の当主は文化人との交流が多く、八橋売茶翁も当家に長く逗留し、八代目・知周は佐藤一斎とは特に交流が深く、知周の墓石の碑文は一斎先生が記している。岩村藩主もしばしば当家を訪問しており、玄関、座敷、書院、庭等は木村家特有の文化と風流が今も生きている。 |
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庭や離れの2階の様子。豪商の面影を残している。 |
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