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<武家屋敷 旧喜多家住宅> 平家落人の里
この屋敷は天正年間、ときの阿波国領主蜂須賀家政の命により祖谷山鎮圧のため入山し大功のあった北六郎三郎の子孫大枝名主喜多家の武家屋敷である。北六郎三郎の祖は阿波国朽田城主小野寺八郎蔵人で小野寺氏は平氏末裔ともいわれ南北朝時代宮方として奥州より阿波に入国正平年中南朝に忠節を尽くし、その功により多数の綸旨感状を授与された家柄である。
本屋敷の築城年代は宝暦13年(1763)で寄棟造、桁行10間、梁行5間半、式台をもち八畳二室続きの書院風の座敷があり、正面と西側に一間幅の中廊下を巡らし、堅固に建てられた祖谷地方の残存する数少ない武家屋敷である。
平成2年11月元の所在地であった当大枝203番地よりこの地に移築復元したものである。 |
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