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<萬屋>
江戸時代末期の旅籠。嘉永五年(1852)の日坂宿大火で焼失し、その後まもなく再建された。再建時期についての明確な史料はないが、建物内部の構造体や壁に貼られた和紙に書かれていた「安政三年甲丙辰正月・・・」から考えて、安政年間(1854〜1859)のしかも早い時期かと思われる。
同じ宿内で、筋向かいの「川坂屋」が士分格の宿泊した大旅籠であったのに対して「萬屋」は庶民の利用した旅籠だった。
一階の裏手に抜ける通り土間がないこと、台所が不明であること、二階正面の出格子が二階床と同じ高さで、腰高の手すりが付き、大変開放的あることなどが、この旅籠の特徴です。
又、一階正面の蔀戸(しとみど)は当時の一般的な店構えの仕様であり、日坂宿では昭和20年代まで数多く見られた。
文久2年(1862)の宿内軒並取調書上帳(古文書)には「萬屋」について次のように記されている。
「間口四間半 畳三十三畳 板鋪六畳 奥行七間半 惣畳数〆三十九畳 惣坪数〆三十三坪七部五厘 旅籠屋嘉七」 |
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今回の修理では、主に一、二階の正面を復原することを目的としたため、内部は大きな復原をしなかったが、調査結果は図の様になり、階段位置が反対であったり、二階が四間あったと思われる。
文久2年の記載との違いは、この記載が旅籠の営業部門のみを記載しているためです。記録に見られる建坪と解体調査の結果から考えて、食事を供しない宿であったとも思われる。 |
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