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<長屋門>
18世紀の建立。寄棟造茅葺屋根。茅葺屋根の頭には、この当時の格式(又は装備)などを現す千木(ちぎ)9本と笠木がある。門正面入口を入って来ると、左に番人部屋、右に前蔵(農機具用の倉庫)になっている。重要文化財。 |
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長屋門を入って振り返る。裏側の屋根の趣が全然違う。茅葺きが苔むしている。 |
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<主屋>
18世紀初頭の建立。切妻造。瓦葺(明治以前は茅葺屋根)。建坪160坪(528u)。部屋数15室。屋根の高さ8.9m。現在も現当主(23代目)の住居として使われている。
主屋内部奥には、大きな竈(かまど)(この地方ではへっついと言う)があり、江戸時代には30人もの使用人の煮。炊物をしていた。又、家族用には専用竈(座敷へつい)がある。
内部上を見ると、太い梁(材料は黒松を使用)がなん双にも組んであり重量感がある。そして中央には2本の大黒柱(雄大黒・雌大黒)が上の梁や屋根を支えている。大黒柱・梁は、ちょうな削り(手斧削)とくさび止めになっていて江戸時代の建立様式を知る事ができる。重要文化財 |
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住宅の内部の様子。 |
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住宅の内部から外を見る。 |
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竈 |
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かつて使われていた道具や刀のつば
<大鐘家住宅>
主屋は18世紀前半、長屋門は18世紀後半の建築であると考えられる。主屋は明治中期以前まで草葺で静岡県最古の古四間取(こよまどり)形式といわれ、構造・手法は江戸初期の豪農の屋敷構えをよく残している。
大鐘家は、慶長2年(1597)越前の国(福井県)の柴田勝豊の家臣大鐘藤八郎貞綱が、当地大磯村に移り住んだと伝えられ、17世紀後半からは、代々大庄屋をつとめていた。重要文化財。 |
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大鐘家の江戸屋敷。「おおがねいづも」 |
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<大鐘藤八郎貞家の出陣>
馬上藤八郎で、家臣が釣り鐘の、のぼりを旗を持っている。
柴田勝家の家臣。山田蔵鱗(ぞうりん)は、越前は北の庄に出陣のおり、陣羽織・のぼり旗に釣り鐘の紋章をつけ功績を残した。
その釣り鐘の紋章を見た織田信長は、蔵鱗に「大鐘」の名字を与えた。その後、大鐘藤八郎貞家となった。(説明文は現地解説文より引用) |