写真紀行・旅おりおり
: 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
<
史跡を巡る写真紀行
>
印象深い景色
坂道
灯台
橋
横丁・小路
街角
通り
温泉
史 跡
街道
史跡
遺跡
人物
奥の細道
墓地・終焉地
Play Back
城・城跡
建築・構造物
歴史的建造物
先端建築
神社
寺
教会
港
漁港
垣根
防災施設
自 然
山・峠
川
滝
湖
池・沼・湿原
海岸
産業・交通
伝統・地場産業
バスターミナル
自動車・バイク
船
国内線
道風景
航空機
四季の景色
棚田
桜紀行
春景色
夏景色
秋景色
冬景色
四季の彩り
歌の舞台・祭・他
歌の舞台
祭・イベント
夜景
テ−マパ−ク
趣味悠々
食紀行
日曜画家
管理人
管理人備忘録
四国遍路
リンク集
象の鼻防波堤
横浜開港 横浜市中区
<
象の鼻防波堤
>
安政6年(1859)の横浜開港に伴い、幕府は開港場の中央部に波止場を建設し、その中心地点に運上所(税関)を設置した。この波止場は、2本の突堤が岸からまっすぐに海に向かって突き出た簡素なもので、東側の突堤は外国貨物の、西側の突堤は国内貨物の積み卸しに使用された。
突堤には外国の大きな船舶が直接横付け出来ないため、沖に停泊している船舶から小船に貨物を移し替えて運んできたが、強風による高波の影響で小船の荷役作業はしばしば妨げられた。慶応2年(1866)の横浜大火により被害を受けた税関施設などの復興と共に、慶応3年(1867)、幕府は東側の突堤を延長して象の鼻のように弓なりになった防波堤を築造した。これが「象の鼻」のはじまりで、この防波堤によって囲まれた水域で行う荷役作業は一気に効率が上がった。
象の鼻パークの整備工事においては、残されている写真や工事記録などを参考にして、全体の姿が明治中期頃のものになつように復元工事を行った。工事中に、大正12年(1923)の関東大震災で沈下したと思われる象の鼻防波堤の石積みと舗装の石材が発見されたため、一部をそのままの形で保存・展示するとともに、復元した石積みにも利用している。
<
象の鼻地区の波止場
>
象の鼻地区の波止場は、時代とともに様々な愛称で親しまれてきた。開港当初の波止場は東西2本の直線状の突堤で、東側の突堤は「東波止場」と呼ばれ、主に外国からの輸出入貨物の積み卸しに使用された。西側の突堤は「西波止場」と呼ばれ、国内貨物の積み卸しに使用された。
元治元年(1864)、貿易量の増大に伴い、現在の山下公園中央付近に新たに「東波止場」が造られると、象の鼻地区の2つの突堤を総称して「西波止場」と呼ぶようになった。
フランス人建築家クリペによる「横浜絵図面」には、慶応元年(1865)当時の西波止場の姿が描かれている。当時の水平線は、現在の横浜開港資料館前の海岸通りの位置にあり、2本の突堤はそこから海に突き出ていたと考えられる。
東波止場はフランス人居住区の前面にあったので「フランス波止場」とも呼ばれた。明治2年(1869)、象の鼻地区の前面にイギリス領事館(現在の横浜開港資料館の所在地)が建てられると、西波止場は「イギリス波止場」とも呼ばれた。西波止場の西側の突堤は、国内貨物用だったので「日本波止場」、税関の建物に近いので「税関波止場」とも呼ばれた。
象の鼻パークでは、西波止場の西側の突堤の位置を、広場内の舗装パターンを変えることで表現している。
北海道
函館
造船所跡地
ペリー提督来航記念碑
宇須岸河野館跡
東北
角館・武家屋敷
酒田・山居倉庫
弘前・石場家住宅
秋田・旧金子家住宅
外ヶ浜・厩石
関東
東京
築地塀
佃島渡船場跡
大洗堰跡
山吹の里
お化け燈籠
処静院跡の石柱
蕃書調所跡
定火消発祥の地
銅燈籠
旧乃木邸
国学発祥の地
赤門
湯島聖堂
御鷹部屋
新暦調御用所跡
江戸城外堀跡石垣
石町時の鐘
キリシタン屋敷跡
勝・西郷の会見地
神田上水石樋の石
真砂遺蹟
神田下水
近代教育発祥の地
北町奉行所跡
鈴ヶ森刑場跡
南町奉行所跡
桜田門
日本水準原点
解体新書
高輪海岸の石垣石
一石橋迷子しらせ石標
川柳の原点
東京(忠臣蔵)
赤穂浪士の道
吉良邸跡
浅野内匠頭邸跡
東京(見附)
赤坂見附跡
日比谷見附跡
四谷見附跡
鎌倉
東勝寺跡
日蓮上人辻説法跡
北条時房邸跡
横浜
鉄の橋
日本の新聞誕生の地
象の鼻波止場
佐倉(武家屋敷)
旧河原家住宅
旧但馬家住宅
旧武居家住宅
旧堀田邸
武家屋敷通り
水戸・弘道館
ペリー上陸地
伝 義経首洗井戸
甲信越
長野
松代藩文武学校
川中島古戦場
象山地下壕
真田邸
松本・開智学校
東海
関ヶ原合戦
家康最初陣地
関ヶ原決戦地
石田三成陣跡
島左近陣跡
名古屋
信長塀
蕉風発祥の地
浜松
米津台場跡
鈴木家住宅
犀ヶ崖古戦場
徳川秀忠誕生井戸
江戸行六義人
中村家住宅
三方ヶ原古戦場
松下屋敷
磐田
旧見付学校
遠江国分寺跡
掛川
旅籠 川坂屋
藤文
旅籠 萬屋
晴明塚
new
伊豆の国
江川邸
願成就院
韮山反射炉
北条政子誕生井戸
伊豆
旧天城トンネル
指月殿
下田
ペリー上陸地
吉田松陰寓寄処
恵那(岩村)
岩村藩校知新館
鉄砲鍛冶 加納家
伝 鴨長明塚
勝川家
浅見家
天正疎水
土佐屋
木村家
岩村本通り
美濃加茂
吉田家住宅
旧脇本陣(林家住宅)
新城・馬防柵
豊明・桶狭間古戦場
桂小五郎隠れ家址
伊賀・崇廣堂
東伊豆・畳石
高山陣屋
大旅籠 柏屋
鵜沼宿町屋館
西郷・山岡会見の地
恵那・旧三宅家
菊川・黒田家住宅
牧之原・大鐘家住宅
森町・友田家住宅
近畿
京都
寺田屋騒動址
落柿舎
御手洗井
池田屋跡
粟田口
インクライン
水路閣
(琵琶湖疎水)
中院山荘跡
時雨亭跡
御土居
長坂口
閑院宮邸跡
阿国歌舞伎発祥地
翠紅館跡
京都御所
西行井戸
西行庵
神泉苑
西寺旧跡
高松殿址
二條陣屋
亀山藩京屋敷跡
応仁の乱勃発地
當道職屋敷址
高瀬川一之船入
高瀬川七之舟入址
草紙屋・八文字屋
土佐藩邸跡
化粧水
千利休遺蹟不審庵
秦家住宅
野口家住宅
新選組最後の洛中屋敷
久坂玄瑞寓居跡
東三条院址
御陵衛士屯所跡
慶長天主堂跡
将軍御成門跡
相国寺水路の石垣
輪違屋
角屋
近江屋跡
薩長同盟締結地
東本願寺・太鼓楼
百々橋の礎石
肥後藩屋敷跡
京都(平安宮)
大極殿跡
平安宮跡
三條烏丸御所跡
奈良(平城宮)
朱雀門
大極殿@
大極殿A
大極殿の屋根
井戸枠
内裏正殿
築地回廊
磚積基壇建物
遺構変遷
宮内省
東院庭園
兵部省
第一次大極殿と朝堂院
第二次大極殿
檜皮葺
羅城門
明日香
甘樫丘
高松塚古墳
飛鳥水落遺跡
石舞台古墳
大官大寺阯
川原寺跡
大山崎
天正・山崎合戦
山崎宗鑑冷泉庵跡
赤穂
近藤源八宅跡
大石頼母助屋敷門
大石邸長屋門
息継ぎ井戸
桜井・山田寺阯
朝来・井筒屋
西宮・大阪城採石場
彦根・長屋門附塀
橿原・藤原宮跡
旧西川家住宅
中国
津和野
馬場先櫓
藩校養老館
多胡家表門
大岡家老門
萩
萩城下町
松下村塾
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
旧湯川家屋敷
鍵曲
旧萩藩校明倫館
菊屋家住宅
旧久保田家住宅
旧佐伯丹下家屋敷
下関
朝鮮通信使上陸淹留地
七卿史跡
奇兵隊結成の地
長州砲
壇ノ浦古戦場
松江・武家屋敷
福山・鞆七卿落遺跡
広島・頼山陽居室
四国
小豆島・池田の桟敷
三好・旧喜多家住宅
旧永井家庄屋屋敷
丸亀・塩飽勤番所跡
安芸・野村家
高知・浦戸砲台場跡
鳴門・ドイツ橋
九州
長崎
グラバー邸
亀山社中の跡
出島
居留地跡
鹿児島
仙巌園
磯御殿
医学院跡
太宰府
太宰府政庁跡
モンゴル軍船の碇
水城
ザビエル記念碑
島原・武家屋敷
知覧武家屋敷群
福岡・元寇防塁
その他
中世の京・町並み
根来寺多宝塔
江戸橋広小路
後漢書東夷伝
Copyright(c) 2002-2024
写真紀行 uchiyama.info
All Rights Reserved.