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<史跡 飛鳥水落遺跡>
斉明天皇6年(660)5月、皇太子中大兄皇子(のちの天智天皇)は、日本で初めて 水時計を作って人々に時刻を知らせた、と「日本書紀」に書かれている。「日本書紀」はその場所について何も語って
いない。昭和56年(1981)その水時計の遺跡が、ここ飛鳥水落遺跡で掘り出された。
ここでは、精密に、堅固に築いた 水時計建物と、建物内の中央で黒漆塗りの木製水槽を使った水時計装置とが見つかった。水時計建物を中心にして、水を利用したさまざまな施設があることもわかった。 |
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当時の日本は、中国の先進文明を積極的に取り入れて、律令制に基づく中央集権的な国家体制を急速に整えつつあった。中大兄皇子は、中国にならい政治や人々の社会生活を、明確な時刻制によって秩序づけようとしたのである。
時計装置の製作と運用は、当時の、最新かつ最高の科学技術を結集した国家的な大事業であったことでしょう。その意味において、飛鳥水落遺跡は律令国家確立への記念碑といえる。 |
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