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<史跡 旧文武学校>
この学校は、松代藩の藩校として、第八代藩主真田幸貴が水戸の弘道館に範をとって建設を計画し、第九代真田幸教がこれを引きついて嘉永6年(1853)に完成、安政2年(1855)に開校したもので、明治に入り兵制士官学校を併設したが、明治4年(1871)廃藩にともない閉校になった。
この学校での教育は、藩士に対し文学(学問)と武道の両道をめざし、漢学・国史・剣術・槍術・柔術・弓術をはじめ、特に西洋医学・西洋砲術を教育したところに時代を先取する気風がうかがえ、後に幾多の人材を輩出している。また、教育の中で儒教を廃しているのが大きな特徴でもある。 |
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明治6年(1873)から松代学校校舎などに使用され、正庁(文学所・御役所)・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所・文庫蔵・番所・門及び槍塀等の建物が残っており、昭和48年(1973)より5ヶ年かけて保存修理と腰塀土塀などを復元施工したもので、全国的にも藩校当時の姿を残す一つである。国指定史跡。 |
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